1985年にマイケル・ポーターが提唱した「バリューチェーン」は、企業が価値を生み出すプロセスを分析する上で、戦略論の基礎となる重要なフレームワークでした。原材料の調達から生産、販売、サービスという一連の流れを「鎖」として捉え、多くの企業がコスト削減や効率化を実現してきました。
しかし、現代の市場はポーターの時代とは大きく様変わりしています。顧客ニーズは多様化し、製品やサービスの開発は自社だけでは完結せず、サプライヤー、顧客、業界を超えたパートナー、時には競合他社との「共創」が不可欠になっています。価値はもはや一方通行の「鎖」ではなく、多様な関係者が関わるダイナミックな「ネットワーク」の中で、共に創り上げ、進化するものへと変化しているのです。このような変化の中で、従来のバリューチェーンは限界を迎えています。
チェーン思考の限界
バリューチェーンは、内部最適化、垂直統合、そして自社完結型のビジネスモデルを前提としています。そのため、オープンイノベーション、アライアンス、外部パートナーとの協業といった、現代ビジネスの重要な要素に対応することが難しいのです。また、価値が「企業→顧客」という一方向に流れるという考え方では、顧客との交流、SNSでの評判、ユーザーエクスペリエンス(UX)といった、目に見えない価値を捉えることができません。
「バリューネットワーク」という新たな視点
そこで、バリューチェーンの時代に終止符を打ち、「バリューネットワーク」という新たなフレームワークを取り入れるべきです。
バリューネットワークとは、価値が単一の企業内にとどまらず、複数の関係者の間で「分散・共創」されるネットワーク構造を前提とした考え方です。サプライヤーだけでなく、顧客、技術パートナー、プラットフォーマー、さらには競合他社もネットワークの構成員となり、価値の起点と終点が固定されない、流動的なエコシステムを形成します。
この考え方では、従来の「自社が中心」「プロセス効率の最大化」という内向きの視点から、「誰とどのように連携するか」「どこで価値を生み出すための触媒となるか」という、外部との相互作用を重視した設計が求められます。
バリューネットワーク思考で戦略を再考する
例えば、製薬業界では、バイオベンチャーとの共同開発、大学との知的財産提携、患者コミュニティからのフィードバック活用など、製品の開発から普及に至るまでを「共創の場」として捉えることができます。サプライチェーンの効率性だけでなく、「どの接点で誰と価値を共創するか」という連携戦略が、競争の鍵を握るのです。
また、マーケティングにおいても、SNSや口コミなど「顧客による価値の拡散」は、ネットワークとして捉えることで初めて戦略に組み込むことができます。顧客はもはや「価値を届けられる対象」ではなく、「価値を共に創造し、広げるパートナー」なのです。
戦略の中心は、企業から「つながり」へ
これからの戦略思考は、「自社の強みは何か」ではなく、「誰とどのように連携し、どこで価値を生み出すか」を中心に据える必要があります。従来のチェーンの発想では、複雑化した顧客価値全体を捉えることは不可能です。 私たちは、「管理する鎖」から「つながりをデザインする網」へと発想を転換しなければなりません。バリューチェーンからバリューネットワークへ—それは、単なるフレームワークの変更ではなく、企業の思考様式そのものを変革することなのです。