2025年現在、AIは私たちのビジネスや生活に深く入り込んでいます。業務効率化、データ分析、コンテンツ生成、、その活躍は目覚ましいもので、「AIなしでは成り立たない」と言っても過言ではないシーンも増えてきました。
しかし、その万能感に飲まれる前に、今一度立ち止まって考えたいことがあります。AIにはどこまでできて、どこからがまだ無理なのか? 本稿では、2025年時点の最新研究を踏まえて、AIの限界を5つの視点から整理します。そこから見えてくるのは、「AIが進化すればするほど、人間の役割が問われている」という現実です。
1. 自ら“問い”を立てることはできない
AIは、私たちが投げかけた問いに対して驚異的なスピードと精度で答えを返してくれます。しかし、「何を問うべきか?」を自分で考えることはできません。目的設定や仮説構築といった戦略的な出発点は、依然として人間の領域です。
研究者の76%が「大規模言語モデルをスケールアップしてもAGI(汎用人工知能)に至る可能性は低い」と指摘していることからも、創造性や独自性を持った問いの設定は、AIの大きな壁であることがわかります。
2. 文脈や“空気”、暗黙知への理解はまだ難しい
AIはデータの塊からパターンを見出すのが得意ですが、人間社会ではそれだけでは不十分です。場の空気、言葉にされていないニュアンス、共感的な対応といった、非言語的文脈への理解はAIの苦手分野です。
Appleの研究でも、「少し文を追加するだけで、AIの理解度が劇的に落ちる」ことが明らかにされており、文脈理解の脆さが改めて浮き彫りになっています。
3. 倫理と責任の“空白地帯”
AIに意思決定を任せたとき、その結果について誰が責任を負うのか?
この問いには、いまだ明確な答えがありません。特に医療や製薬業界のように、高度な倫理基準が求められる場では深刻な問題になります。
AIはルールに従って動作しているだけであり、倫理的ジレンマに直面しても一貫した判断ができません。また、判断のプロセスがブラックボックスになりがちで、説明責任が果たせないケースもあります。
4. 未知の事象やノイズには対応できない
AIは“経験豊富”に見えますが、それはあくまで「過去のデータに学んだ経験」でしかありません。よって、未知の出来事、外れ値、ブラックスワン的な事象に対しては非常に脆弱です。
自動運転車のAIが「想定外の状況」にうまく対応できないことや、新たなウイルスへの対応に苦戦することなどが、その実例として挙げられます。
5. “正しさ”より“それっぽさ”を優先してしまう
生成系AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、自然で流暢な文章を作ることはできますが、それが必ずしも事実とは限りません。いわゆる“ハルシネーション(もっともらしいウソ)”の問題です。
「見た目の自然さ」と「情報の正確性」はイコールではない。この性質は、誤情報やフェイクの温床にもなりかねず、意思決定を誤らせるリスクがあります。
AIが進化するほど、“問いを立てる力”が問われる
AIは今、“問いに応える名手”であることは間違いありません。しかし、“問いを立てる探究者”にはなれません。だからこそ、私たち人間が「何を問うか」「何を目指すか」が、ますます問われているのです。
企業経営、研究、創造的なプロジェクト、、どんな場面でも、「目的を定め、仮説を立て、問いを深めていく力」こそが、AI時代の競争優位性の源泉となるでしょう。