「どうぞメモ代わりに撮ってください。」
先日、登壇の機会をいただいたあるビジネスセミナーで聴講者の方々にそう伝えました。
会場では「撮影禁止」のアナウンスがされていましたが、私はあえて許可することを伝えました。
なぜか?
その日のスライドや構成の多くの部分で、AIの力を借りてつくったからです。
つまり、誰でも再現できる。
“再現性100%”のコンテンツだったからです。
当日、私が語ったことに共感してくれた方がいたとしたら、それはもう「あなたの常識」になっています。
その瞬間から、それは私だけの知識ではなく、社会の共有知になったのです。
では、こんな時代に「専門家」は何を語るべきでしょうか?
かつて、専門家とは“知っている人”でした。
情報を独占し、特別なスキルをひけらかし、
「これは我々の世界の話なので、一般の方にはわかりません」などと言っていた時代もありました。
でも今は?
検索すれば答えは一瞬で出てきます。
AIに聞けば、昨日までの知識は即座に得られます。
もはや、知識を持っていることに価値はない。
それを「どう使うか」がすべてです。
「専門家だから偉い」と思っている人がいたら、それはもう危険信号かもしれません。
“分かる人にだけ分かればいい”という上から目線では、誰の信頼も得られません。
これからの専門家に求められるのは、
知識を語ることではなく、知識で“何かを変える”こと。
・誰かの課題を解決する。
・気づきを引き出す。
・新しい価値を生み出す。
つまり、ただの“解説者”ではなく、“変化の実行者”であるべきです。
私がセミナーで撮影をOKにした理由も、そこにあります。
私が語ったことをそっくりそのまま真似できたとしても、それで得られるのは「再現性のある情報」までです。その知識をどのように使い活かすかは再現することが難しいからです。
今、知識の“所有”ではなく、“活用”にこそ価値が生まれる時代。専門性は、「説明」ではなく「創造」に使われてこそ意義を持ちます。