分析ゲーム理論に出てくる、囚人のジレンマの「理想解」は、2人とも黙秘するです。けれどリアルワールドでは、各人が自分にとって一番魅力的な選択肢を選んだ結果、協力した時よりも悪い結果を招いてしまうことが多くなります。

理由は単純で、当事者は俯瞰して利得表(ルールの全体像)を見られないからです。相手が黙秘する保証もない。自分が黙秘した結果だけが損になる恐怖が勝つ。結果として、裏切り(自白)に流れやすい。ここまでは教科書どおりです。

しかし、現実が難しいのはここからです。現実の「ジレンマ」は、利得表が固定されていません。上司の評価制度、監査の有無、罰の運用、情報の偏り、過去の人間関係、組織文化、そして“空気”までが、黙秘と自白の価値を日々書き換えています。つまり、私たちが対峙しているのは「利得表」ではなく、「利得表を生成する構造」です。

そこで効くのがDAG(因果グラフ)です。DAGは、当事者が見落としがちな“裏側の配線”を可視化します。たとえば「相手を信用できない」という心理は、単なる性格ではありません。過去の裏切り経験、評価制度、情報共有の欠如といった要因により生まれる“結果”かもしれない。ここを交絡として置けると、「裏切りが多い組織」と「裏切りが多い人」を混同せずに済みます。

さらにDAGは、媒介(メディエーター)を置けます。制度→不安→裏切り、のように、意思決定の途中にある心理や認知を変数として扱える。ビジネス現場で重要なのは、「裏切るな」と説教することではなく、「不安が裏切りを合理化する構造」を断つことです。たとえば監査の設計、反復取引の仕組み、情報の透明性、フェアな評価指標――こうした介入可能なノードが見えてきます。

そして一番の落とし穴が、固定(条件づけ)です。現場のデータは往々にして偏ります。クレームが出た案件だけ、退職者だけ、炎上したプロジェクトだけ。そこだけを見て「人が悪い」「現場が弱い」と結論づけると、選択バイアスで因果が逆転します。DAGは「どこに条件づけてしまったか」を明示できるので、“反省会をやった気になって終わる”を減らせます。

利得表を知っている観察者は「協力しろ」と言えます。でも当事者は、ルールが見えず、信頼も担保されず、罰の運用も不確実な中で意思決定しています。だから黙秘しない。裏切りはモラルの欠如というより、構造の帰結です。 ビジネスの本質も同じです。現場に「協力しろ」「顧客第一」「挑戦しろ」と言うだけでは変わりません。協力が合理的になる構造を設計しない限り、ジレンマは再生産され続けます。利得表を暗記するより、利得表を生む因果を描く。リアルワールドを知ることは、その構造を見抜くことです。

「ビッグデータ」や「AI」という言葉が飛び交う現代において、私たちの意思決定の根拠となる「データ解析」そのものが、いまだ旧時代の制約に縛られていることに、どれほどのリーダーが気づいているでしょうか。

多くの現場では、膨大なリアルワールドデータ(RWD)を扱いながら、最終的には「平均値」や「中央値」といった1次元の数値に情報を凝縮して判断を下しています。しかし、AIが複雑な非線形性を描き出すこの時代において、これまでの標準的な統計手法はもはや「推奨」ではなく、克服されるべき「限界」となっています。

いま、真のリアルワールドエビデンス(RWE)を構築するために不可欠なのが、DSA(分布構造解析)+DAG(有向非巡回グラフ)という新しい解析アーキテクチャです。

1. 「情報の蒸発」を許さない:1次元から2次元への転換

従来の解析は、いわば「計算機が非力で、人間が紙とペンで理解できる範囲」に最適化された、情報の削ぎ落とし(抽象化)の歴史でした。多次元で複雑なデータを1次元の点に丸める過程で、データの持つ「多様性」や「微細なゆらぎ」という最も価値ある情報は霧散してしまいます。

これに対し、DSA(分布構造解析)はデータを省略せず、多次元的な「分布の形」をそのまま診断します。これは、情報を「点」ではなく、広がりを持った「構造(2次元)」として捉え直す行為です。AIの圧倒的な計算力を活かし、データの「現実」を損なうことなく保持するこのアプローチこそが、AI時代の解析の出発点となります。

2. 「主観の暴走」を制御する:説明責任の再定義

現在、臨床研究のトレンドである「estimand(何を推定するか)」は、解析プロセスを透明化する優れた枠組みです。しかし、そこには大きな落とし穴があります。プロセスが説明可能(Explainable)であっても、それが研究者の「主観的な仮定(言い訳)」の積み重ねであれば、結論が正しいとは限らないのです。

そこで必要になるのが、DAG(有向非巡回グラフ)による構造化です。 研究者の因果仮定を2次元のネットワーク図として外部化し、それをDSAで得られた「生データの現実」と強制的に照合(監査)する。この「理論と現実のダイレクトな対話」こそが、専門家の暗黙知を民主化し、真の客観性を担保します。

3. 「監査可能性(Auditability)」という新しい信頼

AI時代のビジネスにおいて、最も重要なのは「正解」を語る魔法ではありません。「どう考えてその結論に至ったか」を、第三者が検証可能な形で残す「監査可能性」です。

DSA+DAGのワークフローは、単なる計算手法ではありません。

  • 膨大なデータからAIが因果の候補を絞り込み、
  • 人間の主観がデータの現実と矛盾していないかを自動で点検し、
  • そのすべてのプロセスを「誠実な痕跡」として記録する。

このアーキテクチャを実装することではじめて、RWDは、規制当局や社会を納得させる揺るぎない「証拠(RWE)」へと昇華されます。

結論:アーキテクチャの転換が、未来を創る

正規分布や線形モデルという「理想」にデータを当てはめる時代は終わりました。 データの「現実」に手法を合わせ、その構造を監査可能にする。 DSA+DAGは、AI時代のデータ利活用において、もはや選択肢の一つではありません。信頼に足る意思決定を行うための、必須のインフラ(アーキテクチャ)なのです。

estimandのセミナーに参加しました。参加者から質問が出るたびに、解答には新しい情報やスキルが追加され、話がどんどん難解に、そして深く潜り込んでいく、そんな感覚を覚えました。限界や課題の話で終わるのではなく、あらゆる疑問に対してさらに高度な解答が返ってくる。その結果理解が追いつかない・・・。

では、estimandは「破綻のない完璧な理論」なのでしょうか。

答えは、完璧ではありません。ただし、完璧に“見えやすい”仕組みを持っています。estimandは「完璧だから難しい」というより、「破綻しないように設計されている」ために、質問を受けるたびに前提(定義・仮定・適用範囲)を追加していく構造になっています。だから解答が毎回“深く潜る”方向に伸びるのです。

estimandは「解析手法」ではなく「問いの仕様書」

estimandは、解析テクニックそのものではありません。むしろ“問いの仕様書”です。
質問が飛ぶということは、仕様書の曖昧さが露呈している、ということでもあります。

  • どの効果を言いたいのか(治療方針込みか/仮想世界か)
  • どのICEをどう扱うのか(中断、救済治療、併用薬など)
  • 何を母集団とするのか(誰に一般化するのか)
  • 何が観測され、何が欠測か(欠測メカニズム)
  • どこまでが識別可能で、どこからが仮定か

こうした論点を、質問のたびに「仕様追加」していく。質問が鋭いほど、仕様追加は増えます。

「完璧に見える」のは、整合性を守るために条件が増えるから

estimandは議論が破綻しないように、言葉を定義し、対象を限定し、仮定を明示し、主張の射程を狭めることで整合性を保ちます。
だから“完璧”というより、整合性を守るために条件が増え続ける。これが難解さの正体です。

そして、ここが重要です。estimandには「限界」と「課題」があります。

  • 未測定交絡を消すことはできない
  • 欠測を魔法のように埋めることはしない(結局は仮定の問題)
  • DAGや臨床知識の主観を排除できない
  • 1つの正解を与えるというより、問いを複数に分解する
  • 現場の複雑さを減らすというより、整理する枠組みである

つまりestimandは、「何でも答える理論」ではなく、答えられないものを“答えられない”と明示する理論です。

正しさが増えるほど、運用が死ぬ

問題は、ここまでを“正しく”やろうとすると、現場の負担が一気に跳ね上がることです。研究離れが進む状況で、「議論が破綻しない」ための枠組みが、逆に「研究が進まない」原因になってしまう──この逆説は起こり得ます。

そこで必要なのは、「理論をさらに深掘ること」ではなく、運用を破綻させないための工夫です。

現場に優しい落としどころとしては、まずは次の割り切りが効きます。
「正しい理解」を目指すより、運用として

  • まず“3択だけ決める”(現実込み/仮想世界/忍容性込み)
  • Primaryは1つ、Secondaryは少数(2〜3)
  • それ以上は感度分析の領域として、答えを1本に固定しない

これだけで、“深掘り無限ループ”から抜けやすくなります。

estimandの限界を、DSAはどう補うのか

ここからが本題です。DSAができる補填は、estimandの穴を埋めて万能にすることではありません。そうではなく、estimandが要求する前提(特にICE/欠測/異質性)で破綻しやすい部分を、データ側から“構造化”して運用可能にすることです。

1) ICE(中断・救済治療・併用薬)で議論が終わらない問題

ICEの扱いを決めるほど現実が複雑になり、議論が終わらない。ここに対してDSAは、ICEを「例外」ではなく観測されたイベントとして分布構造に保持し、誰が・いつ・どんな条件でICEを起こすかを構造で提示します。


要するに、ICEを「仕様書の文章」から「構造の図・パターン」に落とし、会話を前に進める役割です。

2) 欠測(無回答・途中離脱)で仮定が積み上がる問題

欠測補完は仮定が増え、“リアルワールド”から離れやすい。DSAはまず欠測を埋めずに、欠測そのもの(無回答/離脱)を解析対象化し、欠測がランダムでない構造(どの層で欠測が増えるか)を可視化します。
補完が必要なら、その後に「仮定が効く場所」を明確化して感度分析の設計に繋げる。いきなり仮定に突っ込まない、という順番が重要です。

3) 異質性(効く人・効かない人、AEが出る人)が平均値に潰される問題

平均効果は仕様として綺麗でも、現場が欲しい“層の違い”は見えない。DSAは平均ではなく分布構造で効果の多様性を示し、AE中断層/非中断層など現実に意味のある層を「除外せず」に扱い、「どの層で勝ち、どの層で負けるか」を説明可能にします。

4) DAG固定の主観(暗黙知)問題

DAGを固定しても主観は残る。DSAはDAGを自動生成して正解を保証するものではありませんが、DAGの取り方で結論が変わるときに、データ構造側から「このDAGだと無理筋では?」を示す材料になります。主観をゼロにするのではなく、主観のリスクを監査可能にする、という位置づけです。

5) “本当の想定外”が起きる問題

リアルワールドでは本当の想定外が起きます。DSAはそれを予言しません。ただし、分布構造の変化点を捉えやすく、「いつから別世界か」「どの層が変わったか」を切り分けて、主張の適用範囲を守ることに貢献します。

DSAは「難しいことを増やさず、破綻しにくい運用に寄せる」

estimandは、議論が破綻しないように条件が増える枠組みです。だからこそ、現場では運用が苦しくなります。
DSAは、estimandの限界(情報がない・現実が複雑)を消すのではなく、ICE/欠測/異質性/変化を構造として扱うことで、仮定の積み上げや恣意的除外に頼らず、現場で破綻しない運用へ落とすための補助線になります。

「完璧な理論」を追いかけて深く潜るよりも、現場が前に進むために、難しいことを“増やさないまま”正当性を守る。DSAが提供できる価値は、そこにあると感じています。

臨床研究の出発点は、日常診療で生まれるクリニカルクエスチョン(CQ)です。しかし、CQから仮説を立てて研究計画に落とし込む段階で、多くの若手医師がつまずきます。理由は単純で、そのCQは既知か、あるいは自身の経験不足による未知なのか、また仮説が「新しいかどうか」以前に、「因果として正しく問えているか」が分からないからです。

臨床研究の現場では、近年 estimand(推定したい因果効果の明確化) の重要性が広く共有されるようになりました。
「誰に」「何を」「何と比べ」「どのアウトカムを」「どの時間軸で」評価するのか。これを曖昧にしたままでは、研究計画も解析も議論にならない。ここまでは、すでに共通認識になりつつあります。

しかし、estimandを明確にしただけで、研究の再現性や妥当性が担保されるわけではありません。研究者の暗黙知や経験値による主観を客観にかえるためには、DAG(有向非巡回グラフ)の設計が重要です。

DAGは、因果仮説の設計図として、交絡、媒介、選択といった構造を明示し、「何を調整すべきか/してはいけないか」を決めるための中核的なツールです。estimandを現実の観察データに落とし込むには、DAGを避けて通ることはできません。

ところが現場では、こんな状況が繰り返し起きています。

  • DAGは重要だと分かっているが、描ける人が限られる
  • 描いても、研究者ごとに形が違う
  • 指導医・統計家・臨床医の間で、合意形成に時間がかかる
  • なぜそのDAGなのか、根拠を説明しきれない
  • 結果が変わったときに、どこが弱かったのか振り返れない

つまり、DAGは因果推論の要である一方で、依然として研究者の経験や暗黙知に強く依存する“属人的な工程”になりがちなのです。

この属人性は、研究の質そのものを揺らします。
同じデータ、同じestimandであっても、DAGの描き方が違えば結論が変わることがある。しかも、その違いが「技術的な誤り」ではなく、「判断の違い」として処理されてしまう。これでは再現性も、説明可能性も、組織としての学習も積み上がりません。

ここで重要なのは、DAGを否定することではありません。
むしろ逆です。DAGが重要だからこそ、その設計品質をどう担保するかが、次の論点になります。

解析手法やAIモデルの高度化が進む一方で、因果設計の部分は「経験者が何とかする領域」のまま残っている。求められているのは、DAGという“仮説の設計図”を、再現性と説明責任に耐える形で扱うための品質管理の考え方です。

こうした問いに答えられる状態を作らなければ、estimandをどれだけ厳密に定義しても、研究の信頼性は頭打ちになります。 この壁をどう越えるか。その答えがDSA(分布構造分析)です(特許出願中)。

AIの登場は、ビジネスにおける「工程=価値」というこれまでの大前提を、根本から崩し始めています。私たちは長い間、仕事の工程ごとに、多くの時間と人を張り付けることで成果を積み上げてきました。手間をかけ、工程を重ねることこそが努力の証であり、価値の正当性(コスト)であると信じてきたわけです。

しかし、文章作成、調査、要約、画像生成といった作業をAIが限りなくゼロに近いコストで代替する今、この等式は成立しなくなります。AIは単に作業が「速い」だけでなく、これまで人間が誇ってきた「工程そのものの意味」を希薄化させるからです。

「アリとキリギリス」の寓話を思い出しました。かつては投入した労働量に比例して成果が出る、アリの「積み上げ型」の価値観が正解でした。しかしAI時代には、アリが数日かけて築く工程を、キリギリスがテクノロジーを使って一気に飛び越えることが出来ます。これはズルではなく、技術の正しい活用です。

これは「怠惰の正当化」ではなく、「勤勉の定義の変更」だという点です。AIが作業工程を圧縮すればするほど、最後に残るのは「そもそも何を作るべきか」「どの方向に進むべきか」という「意思決定」です。アリのような「手作業の勤勉さ」の価値が下がる一方で、キリギリスのような音楽を奏で、生きる喜びを創造する、「構想する力」や「問いを立てる力」が、求められるからです。

「そんなに時間をかけて、なぜそれを作ったのか?」という問いに対し、もはや努力の量は答えになりません。会議の回数や資料のページ数といった「工程の厚み」で正当性を作ってきた組織ほど、この転換は痛烈でしょう。一方で、キリギリス型の働き方には、高度な判断力と責任が伴います。AIは手段を与えても、目的は与えてくれないからです。

これからのビジネスパーソンに求められるのは、アリの勤勉さを捨てることではなく、その「向け先」を変えることです。作業をAIに寄せ、人は戦略と選別に集中する。削った時間を顧客理解や仮説検証という「探索」に充てる。冬に備えるべき対象は、もはや蓄積された食料(作業量)ではありません。アリのように人生を生きたいか、キリギリスのように過ごしたいか?あなたはどちらですか?

— 仮説駆動が現実を歪めるとき —

フレームワークは強力です。短時間で議論を整理し、意思決定を前に進める。ところが、ある瞬間から急に機能しなくなることがあります。議論は整っているのに、現場が動かない。提案は美しいのに、成果が出ない。私はこの瞬間を何度も見てきました。

フレームワークが機能しないのは、フレームが間違っているからではありません。現実の方が「フレームの前提条件」から外れているからです。たとえば、分布が厚い(ばらつきが大きい)世界、因果が循環しやすい世界、選択バイアスが常態化している世界では、仮説駆動が強いほど“見たいものだけを見る”力学が働きます。

仮説は、必要なものです。ただし仮説は、現実を照らすライトにもなれば、現実を切り捨てるナイフにもなります。とくに意思決定が急がれる局面では、整合性のあるストーリーが勝ってしまう。異質性(例外)が「ノイズ」として退場させられる。これが、後から効いてきます。

ではどうするか。私は答えを一つにしません。ただ、問いは明確です。
「このフレームは、現実のどの部分を“見ないこと”にしているのか?」
この問いが入った瞬間、フレームワークは“思考停止”の道具から、“監査可能な意思決定”の道具に変わります。

RWDは確実に増えました。データ基盤も整い、BIも高度化し、AIも導入されつつあります。にもかかわらず、意思決定の質、特に「戦略の質」は必ずしも上がっていない。むしろ、データが増えた分だけ“判断が遅くなる”現象すら起きています。

理由はシンプルで、データ量の増加が自動的に「解像度の上昇」にはならないからです。多くの分析は、相関を強化し、予測精度を上げます。しかし戦略に必要なのは、相関ではなく「なぜそれが起きているか」の説明可能性です。相関は意思決定を前に進めるように見えて、最後に“責任の置き場”を失わせます。

さらに、RWDは現実の混線をそのまま含みます。適応、併用、施設特性、患者背景、選択バイアス。これらは「データが豊富である」ほど強く混ざり合います。つまり、データが増えるほど、因果の設計が曖昧なままでは結論が揺れやすくなります。

結果として、現場はこうなります。
「見える化は進んだが、決め手がない」
「説明ができず、合意形成ができない」
「結局、過去踏襲に戻る」

データを増やす時代から、現実の“構造”を掴む時代へ。RWDの次のボトルネックは、データ収集ではなく「構造を歪めずに扱う意思決定技術」なのだと思います。

「有意差が出た」「主要評価項目を満たした」。それだけで、私たちは安心してしまいます。けれど現場の意思決定は、意外なほどズレます。論文は“正しい”のに、現実は思った方向に動かない——この違和感は、統計の精度ではなく“問いの設計”に起因していることが少なくありません。

論文が扱うのは、平均や要約された単一の指標になりがちです。一方、現実の患者・現場・市場は、分布として存在します。つまり、同じ結果(平均改善)が成立していても、その内側には「効く人」「効かない人」「害が出る人」が同居します。平均の勝利は、個別の敗北を覆い隠します。

さらに厄介なのは、統計的に正しいほど、その“見えない部分”が見落とされる点です。再現性が高いのに外れる、被引用が多いのに使えない。評価軸が整備されるほど、現実判断の材料としての限界が目立ってきます。

ここで問いたいのは、論文が正しいかどうかではありません。「その論文は、どこまで監査可能(説明可能)に、現実を扱っているか」です。
“正しさ”よりも、“どこまで歪みなく見ているか”。いま必要なのは、その観点のアップデートなのだと思います。

チームみらいの当選率が異常にに高いということで不正疑惑が持ち上がっています。既にYoutubeなどで取り上げられていますが、その分析の多くは状況証拠によるものです。そこで統計的なアプローチで、選挙データを詳細に分析してみようと思います。「当選率」という指標は、候補者数(サンプルサイズ)が極端に異なる場合、誤解を生みやすい性質があります。チームみらいは、小選挙区での勝利をほぼ放棄し、全国の比例ブロックで一定の得票を集めて議席を確保する戦略を採用しました。分析によりその戦略が見えてきました。

8日投開票の衆院選で、中道改革連合が議席を大きく減らしたことを受け、野田共同代表は「大敗は万死に値する大きな責任」と答えました。 同じ中道改革連合に属しながら、公明党は議席を33%増やし、立憲民主党は85%減らすという極端な明暗が生じました。なぜこのような現象が起きたのでしょうか?

中道・中道改革連合における公明党と立憲民主党の明暗が分かれた理由について、DSA(分布型構造分析)とDAG(有向非巡回グラフによる因果推論)を用て分析をしてみました。