概要
最近、製薬業界でもAI活用のニュースが次々と報じられています。中でも注目を集めているのが、ブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)社が導入した営業支援AI「CE³(Customer Experience and Engagement Engine)」です。医師の潜在的ニーズを予測し、MRにサジェスチョンを行うことで、面談のインパクトを最大化しようという意欲的かつ先進的な取り組みです。
AIが処方傾向や論文閲覧履歴などのデータから、今後起こり得る医師の疑問を予測し、そのタイミングで情報提供を行うことで、個別最適化されたMR活動が可能となり、結果として医師の満足度向上につながる。理想的なストーリーですし、BMSが語る「卓越した実行力」には確かな意志と戦略的な意思決定が感じられます。
しかし一方で、こうしたAI活用に対しては、冷静な視点からの問いかけも必要ではないでしょうか。BMSの取り組みには一定の意義がある一方で、現場・戦略・本質という3つの側面から、いくつかの限界や懸念があることも事実です。
視点①:AIの予測精度は“現場の入力”次第
まず見過ごせないのは、AIの予測精度は投入されるデータの質と量に大きく左右されるという点です。特に医師のインサイトを読み解くようなセンシティブなモデルを構築するには、きめ細かなフィールドデータが不可欠です。しかし、現場のMRが日々の業務の中で高精度な記録を残し続けるのは、現実的には簡単なことではありません。
データ入力の負担が増えれば、現場の生産性が下がるだけでなく、入力の質にもばらつきが生じます。最悪の場合、AIが学習するのは「入力しやすい医師」「話しやすい医師」の情報ばかりとなり、そこから導き出されるサジェスチョンも自然と偏っていくおそれがあります。
つまり、「話しやすい医師にまた会いに行く」ことが推奨されるような状態になれば、本来ターゲットとすべき医師にはリーチできないまま、AIのリコメンドが再生産されてしまうのです。
おそらくBMSは「完璧な予測」ではなく、「推奨ヒント(レコメンド)提供」を現実的な落としどころとしているのだと推測されます。医師が次に関心を持つ可能性が高いテーマをいくつか提示し、MRが会話の入り口として活用することで、タイミングと情報の質の最適化を目指しているのでしょう。これは“AIによる先読みのきっかけ提供”という意味で、人的資源の価値を最大化するアプローチとして評価できます。
視点②:AI活用が進むほど「誰に会うべきか」の重要性が増す
この点でより本質的に重要なのが、「誰に会うべきか」が明確になっているかどうかです。AIはあくまで“既にある行動データからパターンを見出す”ツールであり、「誰に会うべきか」を判断することはできません。
製薬業界はゼロサムに近い市場構造へと変化しています。限られた医師に対して、限られた時間とリソースをどう投入するかこそ、競争優位性獲得につながります。戦略的ターゲティングのない状態でAIを稼働させても、それは「効率よく無駄なことをやる」だけになりかねません。
この観点では、本社の組織再編よりもむしろ、競争環境や市場構造を見極めたうえで、どの地域・どの施設・どの医師にどれだけ営業資源を配置するかという判断こそが重要です。
視点③:予測精度が上がるほど、同質化のリスクも高まる
現在は“AI導入”そのものが先進的に見えますが、技術の汎用化が進めば、いずれはどの企業も同じようなデータとアルゴリズムを用いることになります。その場合、差別化は困難となり、先行者利益は短期的で終わる可能性も高く、ROIの観点でも不安が残ります。
すでに武田薬品やアステラス製薬、MSDなども類似の取り組みを進めており、予測精度そのものでは持続的な優位性は築けません。
最終的に差がつくのは、「誰を狙うか」というターゲティング戦略と、限られた経営資源をどう集中させるかという意思決定です。
また、潜在ニーズとはそもそも「起こる前にはデータとして存在しない」ため、教師データの構築が困難です。副作用の発生、学会での発表、他剤の承認といった突発的な要因が予測の精度に影響する構造も、AIにとっては大きな壁となるでしょう。
視点④:医薬品において本当に重要なのは「ウォンツ」への対応
医師の処方行動は、一般消費財とは異なり「感情」や「印象」に左右されにくく、エビデンスやガイドラインに基づいています。したがって、いくらAIが潜在的ニーズを先読みしても、それが医師の意思決定に実質的な影響を与えるとは限りません。
むしろ、医師が「今、必要としている情報(=ウォンツ)」に的確かつ迅速に応えることのほうが、本質的な価値提供といえます。
このためには、適正使用に必要な情報を、適切なタイミングで、最適なチャネルを通じて届けるという、戦略に基づいたオムニチャネル設計と実行が求められます。
つまり、勝負を決めるのはAIではなく、「どの情報を、どの対象に、どう届けるか」の戦略的判断なのです。
まとめ:AIは万能ではない。戦略との整合性が問われる時代へ
AI活用が加速する時代において、注目すべきは「どのようなツールを持っているか」ではなく、「誰に、何のために、どう使うか」という戦略の整合性です。
その意味で、AIが真価を発揮するのは、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)戦略が明確に設計されていることを前提として、支援ツールとして活用されたときに限られます。
BMSの取り組みは、AI活用の先進事例として注目されますが、それを価値あるものにするためには、まずは「戦略的ターゲティングとリソース配分の最適化」こそが不可欠です。
「AIで何をするか」よりも、「戦略として何を達成するか」。
テクノロジーの進化とともに、私たちの“問いの質”も進化していくべき時代なのかもしれません。
ミクス記事リンク:BMS・勝間社長 AI機能活用の営業サポート「シーイーキューブ」 医師の潜在ニーズ予測 MR活動最適化