私は製薬企業に31年間勤め、営業(MR)、マーケティング、研修、デジタル、戦略と5つの部門を経験してきました。部門が変わるたびに直面する課題も変わり、それぞれに特有の“モヤモヤ”を感じ続けてきました。

MR時代は、「この活動に意味や根拠があるのか」と迷いながら日々を走り抜け、マーケティング部門では「現場との温度差により戦略が噛み合わない」もどかしさに直面しました。研修担当となってからは、「教えた知識が現場で活かされない」ギャップに悩み、デジタル部門では「せっかく開発したツールが現場で使われない」空回り感を味わいました。

営業管理職を経験したわけではありませんが、現場で受け取る指示には「属人的な感覚に頼ったものが多い」との声も多く、それもまたモヤモヤの一因です。そして何より特筆すべきは、これら部門ごとの“モヤモヤ”が、最終的にすべてMRに蓄積されていくという構造です。

その結果どうなるか。MRは「とにかく数をこなせ」とばかりに活動量を増やし、管理職はKPIの遂行に躍起となり、研修部門はスキルアップメニューを次々と投下、デジタル部門はダッシュボードに数字を並べ、マーケティングは施策を月替わりで打ち出し、経営層は評価指標をより厳格に設定する。

どこかで見たことのある光景ではないでしょうか。これらの多くは、実は「部分最適の積み重ね」に過ぎず、本質的な課題に踏み込めていないどころか、状況を悪化させてしまっているケースさえあります。

かつてはこれでも何とかなっていました。市場が成長していたからです。曖昧な戦略や対処療法的な対応でも、拡大する市場に乗って売上は伸びていた。しかし今、その前提は大きく崩れつつあります。

業績悪化は現実のものとなり、旭化成が血液浄化事業を売却し、協和キリンは希望退職を募り、塩野義製薬は鳥居薬品へのTOBを行うなど、再編の動きも加速しています。 もはや部分最適の延長線上では限界です。いま、製薬業界に求められているのは「全体最適化」。断片的な改善ではなく、戦略、組織、行動すべてを統合した“本質的な変革”が必要な時代に来ているのではないでしょうか。


概要

最近、製薬業界でもAI活用のニュースが次々と報じられています。中でも注目を集めているのが、ブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)社が導入した営業支援AI「CE³(Customer Experience and Engagement Engine)」です。医師の潜在的ニーズを予測し、MRにサジェスチョンを行うことで、面談のインパクトを最大化しようという意欲的かつ先進的な取り組みです。

AIが処方傾向や論文閲覧履歴などのデータから、今後起こり得る医師の疑問を予測し、そのタイミングで情報提供を行うことで、個別最適化されたMR活動が可能となり、結果として医師の満足度向上につながる。理想的なストーリーですし、BMSが語る「卓越した実行力」には確かな意志と戦略的な意思決定が感じられます。

しかし一方で、こうしたAI活用に対しては、冷静な視点からの問いかけも必要ではないでしょうか。BMSの取り組みには一定の意義がある一方で、現場・戦略・本質という3つの側面から、いくつかの限界や懸念があることも事実です。


視点①:AIの予測精度は“現場の入力”次第

まず見過ごせないのは、AIの予測精度は投入されるデータの質と量に大きく左右されるという点です。特に医師のインサイトを読み解くようなセンシティブなモデルを構築するには、きめ細かなフィールドデータが不可欠です。しかし、現場のMRが日々の業務の中で高精度な記録を残し続けるのは、現実的には簡単なことではありません。

データ入力の負担が増えれば、現場の生産性が下がるだけでなく、入力の質にもばらつきが生じます。最悪の場合、AIが学習するのは「入力しやすい医師」「話しやすい医師」の情報ばかりとなり、そこから導き出されるサジェスチョンも自然と偏っていくおそれがあります。

つまり、「話しやすい医師にまた会いに行く」ことが推奨されるような状態になれば、本来ターゲットとすべき医師にはリーチできないまま、AIのリコメンドが再生産されてしまうのです。

おそらくBMSは「完璧な予測」ではなく、「推奨ヒント(レコメンド)提供」を現実的な落としどころとしているのだと推測されます。医師が次に関心を持つ可能性が高いテーマをいくつか提示し、MRが会話の入り口として活用することで、タイミングと情報の質の最適化を目指しているのでしょう。これは“AIによる先読みのきっかけ提供”という意味で、人的資源の価値を最大化するアプローチとして評価できます。


視点②:AI活用が進むほど「誰に会うべきか」の重要性が増す

この点でより本質的に重要なのが、「誰に会うべきか」が明確になっているかどうかです。AIはあくまで“既にある行動データからパターンを見出す”ツールであり、「誰に会うべきか」を判断することはできません。

製薬業界はゼロサムに近い市場構造へと変化しています。限られた医師に対して、限られた時間とリソースをどう投入するかこそ、競争優位性獲得につながります。戦略的ターゲティングのない状態でAIを稼働させても、それは「効率よく無駄なことをやる」だけになりかねません。

この観点では、本社の組織再編よりもむしろ、競争環境や市場構造を見極めたうえで、どの地域・どの施設・どの医師にどれだけ営業資源を配置するかという判断こそが重要です。


視点③:予測精度が上がるほど、同質化のリスクも高まる

現在は“AI導入”そのものが先進的に見えますが、技術の汎用化が進めば、いずれはどの企業も同じようなデータとアルゴリズムを用いることになります。その場合、差別化は困難となり、先行者利益は短期的で終わる可能性も高く、ROIの観点でも不安が残ります。

すでに武田薬品やアステラス製薬、MSDなども類似の取り組みを進めており、予測精度そのものでは持続的な優位性は築けません。
最終的に差がつくのは、「誰を狙うか」というターゲティング戦略と、限られた経営資源をどう集中させるかという意思決定です。

また、潜在ニーズとはそもそも「起こる前にはデータとして存在しない」ため、教師データの構築が困難です。副作用の発生、学会での発表、他剤の承認といった突発的な要因が予測の精度に影響する構造も、AIにとっては大きな壁となるでしょう。


視点④:医薬品において本当に重要なのは「ウォンツ」への対応

医師の処方行動は、一般消費財とは異なり「感情」や「印象」に左右されにくく、エビデンスやガイドラインに基づいています。したがって、いくらAIが潜在的ニーズを先読みしても、それが医師の意思決定に実質的な影響を与えるとは限りません。

むしろ、医師が「今、必要としている情報(=ウォンツ)」に的確かつ迅速に応えることのほうが、本質的な価値提供といえます。
このためには、適正使用に必要な情報を、適切なタイミングで、最適なチャネルを通じて届けるという、戦略に基づいたオムニチャネル設計と実行が求められます。

つまり、勝負を決めるのはAIではなく、「どの情報を、どの対象に、どう届けるか」の戦略的判断なのです。


まとめ:AIは万能ではない。戦略との整合性が問われる時代へ

AI活用が加速する時代において、注目すべきは「どのようなツールを持っているか」ではなく、「誰に、何のために、どう使うか」という戦略の整合性です。

その意味で、AIが真価を発揮するのは、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)戦略が明確に設計されていることを前提として、支援ツールとして活用されたときに限られます。

BMSの取り組みは、AI活用の先進事例として注目されますが、それを価値あるものにするためには、まずは「戦略的ターゲティングとリソース配分の最適化」こそが不可欠です。

「AIで何をするか」よりも、「戦略として何を達成するか」。
テクノロジーの進化とともに、私たちの“問いの質”も進化していくべき時代なのかもしれません。

ミクス記事リンク:BMS・勝間社長 AI機能活用の営業サポート「シーイーキューブ」 医師の潜在ニーズ予測 MR活動最適化

ランチェスターの法則を「使えるかたち」に変えるDXS Stratify®

フレデリック・ランチェスターが第一次世界大戦中に提唱した「ランチェスターの法則」は、兵力と攻撃効率を数式で表す戦闘理論として知られています。これは「戦いの構造を定量化する」ことを可能にした、きわめて合理的な数理モデルです。

この法則は、日本では「ランチェスター戦略」として経営に応用され、多くの中小企業経営者に実践されてきました。特に「弱者の戦略」「一点集中」などの指針は、経営判断の座標軸として今なお広く支持されています。

ビジネス書やマーケティングで取り上げられるこの「法則」は、多くの実務において概念的な戦略論として簡略化され、より広く普及するようになりました。これにより理解のしやすさは得られましたが、その一方でポジショニングやリソース配分における定量的根拠の欠如という曖昧さも残る結果となっています。

このギャップを埋めるために開発されたのが、DXS Stratify®です。
本ツールは、ランチェスターの法則を基盤としながら、市場シェア理論や競争構造分析を統合し、戦略判断を誰でも再現可能な定量分析に変換するアルゴリズム
を搭載しています。

つまりDXS Stratify®は、「勘や経験で戦略を語る時代」から、「誰もが構造的に戦略を設計できる時代」への橋渡しをするラスト1マイル的な存在です。市場が成長から縮小へ、競争が分散から集中へと移行する今、戦略にはこれまで以上に構造性と合理性が求められます。

DXS Stratify®が目指すのは、「ランチェスターの法則」の価値を、DX時代にふさわしいかたちでアップデートすることです。

*本製品の理論的基盤は、英国の技術者フレデリック・ランチェスターによって提唱された「ランチェスターの法則(Lanchester’s Laws)」にあります。この法則は、戦闘の勝敗を数理的に示すものであり、当社はこの原理をマーケットシェア理論および競争環境分析に応用しています。「ランチェスター戦略」という用語は使用しておらず、本製品は数理モデルとしての「ランチェスターの法則」に基づいた再現可能な定量分析を実現しています。

現在の不眠症治療薬市場において、ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系薬剤は依然として主流ですが、作用時間別に見ると、シェア構造には大きな差があります。中間型は安定した強者、超短時間〜短時間型は揺らぎのあるポジション、そして長時間型は、相対的に最も脆弱なポジションにあると分析されています。

つまり、長時間型セグメントこそが「攻略すべきターゲット」なのです。競争の原則は「弱者を攻めよ」。この基本原則を戦略に落とし込むならば、オレキシン受容体拮抗薬(ORA)はまずこの脆弱なゾーンにリソースを集中すべきです。

長時間型を使っている医師・患者層には、「しっかり眠れること」を求めつつ、依存性や翌朝のふらつきを懸念するニーズが潜在しています。ここに対し、「自然な眠りを促す新しい作用機序」「依存性が少ない」「高齢者にも安心」というORAの質的優位性を丁寧に訴求することで、切り替えの動機付けが可能になります。

特に、高齢者施設や慢性疾患の入院患者など、長期処方を前提とした施設は重点ターゲットです。施設別の処方傾向を分析し、処方医に対して切替事例や患者QOLの改善実績を示すことで、導入のハードルを下げることができます。

今はまだ、絶対的な王者が存在しない不眠症治療薬市場。だからこそ、「どこから攻めるか」「どこに勝機があるか」を見極め、データと論理に基づいた行動が鍵となります。競争の原則に従って、最も脆弱なセグメントに戦力を集中すること。それが、オレキシン受容体拮抗薬が牙城を崩す突破口となるでしょう。

このように、IQVIA社のDDDを用いれば、営業部、支店、課、MRでの全粒度での分析およびターゲティングとリソース配分が可能です。


1. 現状分析:ベンゾ・非ベンゾ市場内のシェア構造

作用時間型シェア評価戦略的意味
中間型安定目標値安定的な強者(攻めにくい)
超短〜短時間型下限目標値弱者と強者の境界(揺らぎがある)
長時間型上位目標値弱者の中の相対的強者(脆弱な拠点)
  • 長時間型が最も脆弱なゾーンであり、攻略の優先ターゲット
  • 現在のシェアギャップから見て「絶対的な強者」は不在

2. 戦略仮説:オレキシン受容体拮抗薬(ORA)のポジショニング

  • 「依存性が低い」「自然な眠りを誘導」「新規作用機序」などの質的優位性
  • 長時間作用を期待される患者・医師ニーズに適合
  • 長期処方・高齢者施設・慢性不眠患者層において優位

3. 戦術フレーム:フェーズ別アプローチ

フェーズ戦術具体策
興味喚起比較喚起従来薬と同じ“長時間”でも、依存性リスクが低い
優位訴求教育オレキシンという新しい作用機序で自然な睡眠
切替提案ケース提示長期処方患者へのQOL改善事例紹介
実行支援KPI設計処方傾向の高い施設リスト化→個別訪問→切替フォロー

4. 必須条件

  • 市場データに基づいた戦力量分析(DXS Stratify®などの活用)
  • MRによる施設別ターゲティング支援
  • 医師・薬剤師向けFAQ・比較資料の整備

5. 提言まとめ

弱者から攻略するランチェスターの法則に従い、ベンゾ・非ベンゾの中でも最も脆弱な「長時間型」セグメントにオレキシン受容体拮抗薬の強みを集中投下することが市場獲得の最短ルートであることが示唆されます。質的優位とデータに基づいた戦力集中こそ、持続的な競争優位性につながるのです。

2020年にデエビゴ錠が登場して以来、オレキシン受容体拮抗薬市場はデエビゴ錠とベルソムラ錠の2者間競争という、非常に厳しい構図となっています。
2者間競争は市場環境において最も厳しい競争市場です。なぜなら全リソースを目の前の敵にぶつける極めて単純な総力戦になるからです。一般的には消耗戦の末、経営資源に勝る側が勝つことになります。そのため全体市場ではなく、市場細分化による戦略プランが必要です。

マトリクス分析の結果、現時点でデエビゴ錠は全都道府県でベルソムラ錠を上回るシェアを獲得しています。
しかし、まだ“圧倒的”と言えるほどのシェア差は築けていません。安定的な独走状態に至っていないのです。
今後、塩野義製薬のクービビック錠が市場に参入すれば、この状況はさらに変化する可能性があります。
だからこそ、デエビゴ錠は今のうちにベルソムラ錠のシェアを奪い切ることが不可欠です。

試算では、マトリクスのAbフレームに位置する17都道府県のうち、7都道府県をAaフレームへランクアップできれば、デエビゴ錠のシェアは73%に達し、ベルソムラ錠を射程圏外に押し出すことが出来ます。
これは、追撃を許さない盤石なポジショニングを確立する絶好のチャンスです。

また、剤型別のシェア分析からも戦略のヒントが見えてきます。
デエビゴ錠は5mgがシェア1位、2.5mgが3位となっており、通常量で十分な効果が得られていることが示唆されます。
一方、ベルソムラ錠は15mgが2位、20mgが4位であることから、通常量では効果が不十分とされている症例がある可能性も考えられます。

この分析を踏まえ、デエビゴ錠の今後の訴求ポイントは明確です。
「通常量でもしっかり効く」という効果の強さを前面に打ち出すこと。
これこそが、2者間競争を制し、シェア拡大を実現するポイントになるでしょう。

*第9回NDBオープンデータを使用


ミュゼプラチナムの運営会社社長・高橋英樹氏の「皆さんにも責任がある」という発言が物議を醸しています。
確かに、経営者が苦境の中で愚痴のように漏らしてしまう気持ちは理解できます。現場での努力や工夫が十分とは言えず、もどかしさを感じることもあるでしょう。しかしながら、経営悪化という結果に対する責任の所在という観点から見れば、この発言は完全に的外れと言わざるを得ません。

経営者の本来の役割は、限られた経営資源(人・モノ・金・情報)を適切に配分し、組織としての最適解を導き出すことです。これは現場の従業員が担うべき領域ではありません。むしろ、従業員は経営が示した方針と計画(Plan)に基づき、実行(Do)する立場にあります。PDCAで言えば、PlanやCheck、そしてActionは経営や本社の役割が大きく、現場は主にDoを担うのが基本構造です。

よって、どれだけ従業員に研修を施し、デジタルツールを導入したところで、そもそもの戦略が曖昧、あるいは欠落していれば成果など望めるはずもありません。上流の戦略が整ってこそ、現場の力が最大限に活きるのです。

経営者が現場の努力不足を責める前に、自らの戦略と意思決定の適切さをまず振り返るべきではないでしょうか。トップの責任を明確に認識し、戦略と実行の接続こそが真の経営の本質です。昨今の経営悪化にともなう人員削減など痛みを伴う改革の多くは、その会社で働く従業員が受け止めることになります。今回の発言は、改めて経営者の責任を私たちに突きつけています。

第9回NDBオープンデータを用いて、外来院内・院外、そして入院における47都道府県別の不眠症治療薬の使用状況(患者数)を分析しました。データは令和4年度のレセプト情報および令和3年度の特定健診情報を対象としており、やや古いことや全数データではない点から、あくまで傾向を参考とする位置づけです。

その結果、非ベンゾ系製剤が圧倒的なシェアを誇り、続いてベンゾ系が位置していることがわかりました。一方で、オレキシン受容体拮抗薬やメラトニン製剤は、全都道府県で5%未満と、まだまだ限定的な状況にあります。こうした現状を踏まえると、新たなオレキシン拮抗薬の参入においては、非ベンゾ系ユーザーからの切り替えは非常に困難なため、その他の薬効からの切り替えや独自のポジショニングを視野に入れることが重要になりそうです。

過去の経験では、脱ベンゾを進めた結果、患者が脱落してしまい、逆に処方が減少してしまったことがありました

さらに、作用時間や患者背景によって異なる施設ごとのニーズにも目を向ける必要があります。今回は外来/入院での分析は行っていませんが、分析により傾向を把握することが可能になり戦略的な意思決定を支援します。ニーズに応じて、製品ごと、施設ごとに具体的な置き換え戦略を描くことで、ドミナント的に市場占有率を高めることがより現実的になります。

このような多面的な戦略立案を力強くサポートするのがDXS Stratify®です。本ツールでは、薬効分類や地域別のマクロ分析に加え、製品別×施設・Brick別といった細かな分析も可能です。診療レセプトデータを用いれば医師単位までの分析も可能になります。さらに、単なるシェア把握にとどまらず、シェア値から競争環境における戦力量を導き出し、必要な活動量を算出してKPIにまで落とし込むことができます。

今回の分析はあくまでイメージですが、DXS Stratify®を活用すれば、全社戦略からエリア戦略、顧客アプローチまでを一貫してサポートするデータドリブンな意思決定が可能になります。新しい製品の上市にあたり、市場縮小期のゼロサムのゲーム型競争市場では、こうした全粒度での分析と行動計画こそが、これからの競争を勝ち抜く鍵となるでしょう。


医薬品ビジネスは、制度によって自由競争が制限される特殊な世界です。
製品は厳格な基準とルールのもとに同質化を余儀なくされ、消費者(患者)が自由に選ぶこともありません。
結果として、一般的なマーケティング理論で重視される「差別化」は、ここではなかなか通用しないのが実情です。

では、そんな環境でいかにして競争優位を築くべきでしょうか。
一つひとつの可能性を検討してみましょう。


オペレーショナル・エクセレンス(業務の卓越性)
製品供給の安定性や情報提供の正確さは確かに大切です。
しかし、ネット上でほとんどの情報にアクセス可能な今、それだけでは差を生むことは難しくなっています。
もはやこれは「競争優位」ではなく「前提条件」に近いものと言えるでしょう。


アクセス戦略・リレーションシップ
信頼関係が重要とはいえ、医薬品の世界では科学的エビデンスこそが意思決定の中心です。
情や関係性だけで処方が左右されるわけではなく、あくまでも信頼関係は“必要最低限の土台”と考えるべきです。


サービス・サポート型の差別化
患者支援などのサービスも一定の役割は果たします。
しかし、患者が薬を選べないこの世界では、処方決定に与える影響は限定的です。
特定領域を除けば、これを主軸とした差別化は難しいのが現実です。


データ・ドリブンなターゲティングとリソース配分
ここでようやく「差がつく領域」が見えてきます。
同質化市場では「どこで戦うか」「誰を狙うか」が勝敗を分けます。
限られたリソースを最も勝算が高い場所に集中投下する、これこそが現代の医薬品ビジネスにおける本当の戦略と言えるでしょう。


プレゼンスの確保(Share of Voice戦略)
また、ターゲティングと並んで重要なのが“情報接触量”です。
どれだけ良いターゲット設定があっても、相手に伝わらなければ意味がありません。
適切なターゲティングと活動量の掛け算によって、初めて競争優位が生まれます。


つまり、医薬品市場における競争優位とは、
製品の差別化ではなく、「どこで(Where・Who)」×「どれだけ(How much)」を的確に設計し、
その戦略に基づいてリソースを集中させることに他なりません。

この構造を理解し、戦略的に動く者だけが、同質化市場という厳しい舞台でも一歩先を行くことができるのです。


時代は多様性を当たり前に受け入れるようになりました。
性別、年齢、国籍、働き方、価値観…。
多様な人が同じ場に集まり、それぞれのスタイルで働く。
この考え方自体は、まさに時代の要請です。


しかし、一方でこうした多様性が、
「他人は他人、自分は自分」
という意識を生み、逆に無関心と分断を加速させている現実も見逃せません。
多様性が叫ばれる割には、
「組織の一体感が薄れた」
「メンバー同士の相互理解が足りない」
「相手の事情を考えない自己中心的な行動が増えた」
と感じる場面が増えていないでしょうか。


この現象は、実は多様性が持つパラドックスなのです。
多様性(Diversity)は、違いを認め合うことで新たな価値を生む力になる反面、
ただ「違っていて良い」というだけでは、相互の関心や協力意識は生まれず、
むしろ孤立や利己主義に向かうリスクがあります。


だからこそ、インクルージョン(Inclusion)が不可欠なのです。
インクルージョンは、
「違いを受け入れる」
「違いを活かし合う」
「違いの中に共通点や接点を見出し、つなぐ」
という、もう一歩踏み込んだ行動や関係性を意味します。


多様性が「受け入れること(Accept)」だとすれば、
インクルージョンは「関わること(Engage)」です。
企業がダイバーシティだけでなく、インクルージョンまで推進する理由はここにあります。
• 多様性だけでは、組織内の理解や協力は自動的には生まれない
• インクルージョンによって初めて、多様なメンバーが互いを活かし合い、組織の力になる


つまり、ダイバーシティ+インクルージョンでこそ、
「多様なだけでバラバラな組織」から「多様だからこそ強い組織」へと進化できるのです。
これは単なるスローガンではなく、
縮小市場・不確実な時代を生き抜く企業にとっての生存戦略と言えるでしょう。

〜長期開発と市場ニーズ変化をどう捉えるべきか〜


医薬品の開発は一般的に10年以上もの長い歳月を要します。
このため、いくら開発段階で市場ニーズ(マーケットイン)を意識していても、発売時には市場環境や医療現場のニーズが大きく変わっていることが珍しくありません。

結果として、上市後は製品そのものの特長(プロダクト)を武器に市場を切り開くプロダクトアウト型の色合いが濃くなるのが医薬品ビジネスの宿命とも言えます。

しかし、これは「マーケットインが無意味」ということでは決してありません。


■ なぜマーケットインは必要なのか?

  • 完全に外した製品を作らないための指針
  • 致命的なズレを防ぐことで、上市後の柔軟な対応余地を確保するため
  • 発売後に適応追加やプロモーション戦略で市場適応するため

つまり、開発時点でのマーケットインは「的中」を狙うというよりも、
失敗しないためのガイドラインとして意味を持ちます。


■ 領域別の傾向

領域上市まで上市後
プライマリーケア基本プロダクトアウト市場適応=マーケットインが極めて重要
オンコロジー完全プロダクトアウト適応追加等でマーケットイン的展開
希少疾患完全プロダクトアウト一部マーケットイン(QOL対応など)

特にプライマリーケア領域では、発売後の市場適応力が成否を分けるカギになります。


■ 発売時の不確実性にどう備えるべきか?

このように、医薬品は開発から上市までのギャップが不可避です。
そのため、発売時点での静的分析と動的運用が極めて重要となります。

  • 静的分析
    → 市場環境、競合状況、患者・医師の反応をデータで可視化し、現時点のポジションを正確に把握する。
  • 動的運用
    → 上市後の反応や市場変化に応じて、ターゲティング・プロモーション・適応拡張などを臨機応変に調整していく。

特に現代の医薬品市場は、ガイドライン改訂や競合の登場など、状況が流動的に変わるため、
静的分析だけでなく、定期的な再分析と素早い戦略修正(動的運用)が不可欠です。


■ まとめ

医薬品ビジネスにおけるマーケットインとプロダクトアウトの関係は、
「二者択一」ではなく、「開発〜上市〜市場浸透」という各フェーズで柔軟に組み合わせて活用することが求められるというのが現実です。

そして、発売時の不確実性に対しては、
静的分析で現状を捉え、動的運用で市場適応する──この両輪が、勝敗を分ける時代です。

開発時からこの考え方を持っておくことこそが、製薬企業にとっての最適解と言えるでしょう。