私は長らく医薬品業界に携わり、営業戦略やマーケティングの最前線を見てきました。医薬品業界では、医薬情報担当者(MR)が医師へ情報提供を行い、医薬品卸がロジスティクスを担うという、シンプルな流通構造が確立されています。しかし、その一方でマーケティングは非常に緻密に設計され、細かいKPI管理やデータ分析が行われています。
最近では、医療機器業界との関わりが増えてきましたが、その中で印象的だったのは、医療機器業界のマーケティングの在り方が、医薬品業界とは大きく異なることです。医療機器は、医師だけでなく、臨床工学技士や看護師、病院の購買担当者など、さまざまなステークホルダーが意思決定に関与し、販売チャネルも直販や代理店経由など多様です。しかし、それほど複雑な市場でありながら、同じヘルスケアビジネスの医薬品業界ほどデータドリブンなマーケティング手法が浸透しておらず、属人的な営業に依存しているケースが多いと感じました。
医薬品業界では、シンプルなビジネスモデルの中でマーケティングが過剰に複雑化している一方で、医療機器業界では、多様で複雑なビジネスモデルにもかかわらず、マーケティングの標準化が進んでいないのです。この構造の違いは、どのようにして生まれたのでしょうか?また、今後どのような変化が求められるのでしょうか?
本コラムでは、医薬品業界と医療機器業界のマーケティングの違いと、その背景にある要因を整理し、今後の業界の発展に向けた課題と可能性について考察します。
医薬品業界:シンプルな構造なのにマーケティングが過剰に複雑化
医薬品の販売構造は非常にシンプルです。
- 適応症と公定価格が定められている
- 製薬企業のMRが医師に情報提供を行う
- 医師が処方を決定する
- 医薬品卸が医療機関や薬局に供給する
このように、医薬品は「適応症やエビデンス、ガイドラインなど」が処方の決定に大きく影響を与えるため、競争戦略としてのマーケティングはシンプルになり得るはずです。しかし、実際にはマーケティングの管理が過剰に細分化され、複雑化しています。
なぜ医薬品業界のマーケティングは過剰に複雑化したのか?
- 競争が激しく、差別化が難しいため
- 医薬品は薬効が明確であり、適応症と治療ガイドラインによって処方の選択肢が制限されることが多いです。
- そのため、競争が価格や情報提供の質に依存し、各社が独自のマーケティング施策を過剰に細分化しています。
- データドリブンなマーケティングが進みすぎたため
- 製薬企業はビッグデータを活用し、ターゲット顧客の選定やKPI管理を徹底しています。
- しかし、データが豊富であるがゆえに、過剰な管理が行われ、マーケティングの戦略よりも「どの指標を達成するか」が重視されすぎています。
- 規制による制約がマーケティングの工夫を生んだため
- 広告規制や医師への接触制限があるため、CU/CXなど各社が工夫を凝らしたマーケティング手法を開発し、それが積み重なって過剰に複雑化しています。
この結果、製薬企業ではマーケティングが「シンプル」ではなく、「複雑な施策の管理」に変わってしまう傾向があります。
医療機器業界:ビジネスモデルが多様で複雑なのにマーケティングが未発達
一方、医療機器業界は、医薬品とは異なり販売経路が多様で、意思決定者も多層的です。
- 医師だけでなく、臨床工学技士、看護師、放射線技師、病院管理者、購買部門など、さまざまなステークホルダーが関与する
- 販売経路も直販・代理店・医療機器卸と多岐にわたる
- 消耗品(ディスポーザブル製品)と高額な設備機器では、営業プロセスが大きく異なる
このように、医療機器業界は非常に複雑な市場構造を持つにもかかわらず、マーケティングの概念が十分に浸透していないように見えます。
なぜ医療機器業界のマーケティングは未発達なのか?
- 営業が属人化しており、個々の担当者の経験や人脈に依存しているため
- 医療機器の販売は、長年の関係構築が重要視されており、営業担当者の裁量が大きい傾向があります。
- そのため、マーケティングによるターゲット設定や施策の最適化が十分に行われていません。
- データ分析の活用が遅れているため
- 医薬品業界と違い、医療機器業界にはIQVIAのような統一された市場データがありません。
- そのため、企業ごとのマーケティング活動が手探りになりがちです。
- 販売チャネルの多様性がマーケティング手法を標準化しにくいため
- 医薬品と違い、直販・代理店・卸と販売形態がバラバラであるため、統一したマーケティング施策を導入しにくいです。
この結果、医療機器業界ではマーケティングの標準化が進まず、営業の属人性に依存した販売が残っているようです。
今後の展望:求められるマーケティングの方向性
このように、医薬品業界と医療機器業界は対照的なマーケティング課題を抱えています。
- 医薬品業界 → 「過剰に複雑化したマーケティングをシンプルに整理し、戦略的意思決定を強化する」
- 医療機器業界 → 「属人性に依存した営業をデータドリブンに変え、マーケティングの標準化を進める」
この両方を実現するには、企業が競争環境を可視化し、最適なターゲットに対して適切なリソースを投入できる仕組みが必要です。
例えば、
- 営業活動のデータを蓄積・分析し、ターゲット顧客を精密に選定する
- 販売戦略の最適化を支援し、属人的な営業活動から脱却する
- 市場ポジショニングを可視化し、効果的なマーケティング施策を実行する
このような仕組みがあれば、医薬品業界では過剰なマーケティング管理をシンプル化し、医療機器業界ではマーケティングの標準化を推進できるでしょう。
医療業界におけるマーケティングの課題は、データの活用と戦略的意思決定の質を高めることで解決できるのではないでしょうか。今後の業界の進化に期待したいと思います。