高度な情報化は、市場/顧客ニーズを顕在化し、その結果、多くの市場参入者による過剰な競争市場を形成します。複数の市場参入者によって、当初は分散型市場を形成しますが、やがて戦力量に勝る参入者によって、三強型市場、二強型市場を経て、最終的には一強型市場を形成します。

現代の人口減少や景気後退により、市場ライフサイクルが成長期から成熟期から衰退期へ移行するフェーズでは、市場参入者の全てが市場を拡大するチャンスのある成長期のレース型競争市場とはことなり、一方の利益は他方の損益となるゼロサムのゲーム型競争市場へと変遷しています。

このような状況を、日本の歴史における戦国時代から徳川幕府への変遷に例えてみましょう。

群雄割拠の時代(戦国時代)
高度な情報化が市場や顧客ニーズを明らかにし、多くの新規参入者が市場に参入します。この状況は、戦国時代の日本における多数の大名がそれぞれ独自の領土を持ち、権力を拡大しようと争った状況に似ています。市場においては、各企業が競争優位を確立しようと多様な戦略を展開しますが、このフェーズではまだどの企業も市場を支配していません。

強者の台頭
情報技術の進展と共に、資源、技術、市場戦略において優位な企業が現れ、競争をリードします。この段階は、織田信長、豊臣秀吉といった強力なリーダーが他の大名を征服し、日本を統一に導いた過程に似ています。市場では、競争が激化し、少数の強力な企業が中小企業を買収合併することで市場の大部分を支配し始めます。

一強体制の確立(徳川幕府)
最終的に、資源、技術力、ブランドの面で圧倒的な優位性を持つ企業が市場を支配し、一強体制を築きます。これは、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し、徳川幕府を開いて260年以上にわたる平和な時代をもたらした歴史に類似しています。市場においても、最も強力な企業が業界標準を設定し、競争を制御することで長期にわたる安定を享受します。

ゼロサムゲームへの移行
人口減少や景気後退の影響で市場が成熟期から衰退期へと移行すると、新たな市場機会の創出が難しくなり、企業間の競争はゼロサムゲームに近づきます。この状況は、徳川時代後期の鎖国政策下での経済活動の限界や、平和が長く続く中での内政の停滞といった歴史的状況に例えることができます。市場での競争がより厳しくなり、企業は生き残るためにより戦略的な動きを迫られるようになります。

このような比較を通じて、ビジネスの世界と歴史的な政治・社会の変化との間には明確な類似点が存在することがわかります。どちらの場合も、環境の変化に適応し、戦略を練り直す能力が求められるようですね。