DSA(分布構造分析)の出発点は、意外にも統計学ではなく、私が以前から研究していたランチェスターの法則にあります。ランチェスターの法則が示したのは、大まかに言えばこういう世界観です。

競争において、戦略(戦力差)の効き方は線形ではない。「2乗」で効いてくる。

つまり、少しの差が、ある局面を超えると一気に拡大する。努力や資源の差が、足し算ではなく掛け算で効く。勝者がさらに有利になり、差が差を呼ぶ。競争が「一強多弱」へ傾いていくのは、構造として当然の帰結です。

当時の私は、「森羅万象、すべての事象は正規分布に則る」と当たり前のことのように思っていました。

平均の周りに大多数が集まり、極端な値は少ない。統計教育や実務の多くがこの前提を採用している以上、それは自然な思い込みです。実際、私たちは何かを説明するとき、まず平均を見ます。平均との差を見ます。相関を見ます。そこに“全体像”があると疑いません。

しかし、競争市場を眺めていると、この前提がじわじわ崩れていきました。市場シェア、売上、影響力、成果。多くの現象が、平均の周りに集まっていない。むしろ、少数が極端に大きく、裾が異様に長い。「中心」が世界を代表していない。

AMAZONのように、ショートヘッド&ロングテールの世界感は加速しています。

すなわち競争市場の多くは、正規分布ではない。べき分布(パワーロー)に近い。

この気づきが、私にとって転換点を与えました。なぜなら、分布が違えば、意思決定の作法が根本から変わるからです。

正規分布の世界では、平均は強い。平均は「代表値」たり得ます。ところが、べき分布の世界では、平均は簡単に壊れます。少数の極端値が平均を引っ張り、平均像は実態を映さなくなる。平均に合わせた施策は、現実の外側を撫でて終わることがある。

そして何より、べき分布の世界では「例外」は例外ではありません。
分布の端にいる少数派は、たまたま外れたのではない。競争と非線形性が生み出した、構造上の必然としてそこにいる。だからこそ、「外れ値」「ノイズ」「必要ない」で処理した瞬間、現実の重要部分を捨てることになります。

つまり言いたいことは、まず分布を、ありのままに見る必要がある。です。

これがDSAの始まりです。DSAは「平均の代替」ではありません。平均や相関が悪いわけでもない。問題は、平均と相関が“効く世界”と“効かない世界”が混在しているのに、それを区別せずに使ってしまうことです。

ランチェスターの法則が示した「差が2乗で広がる」世界では、分布は歪み、裾が伸び、少数が支配的になります。つまり、分布の形そのものが情報です。まずそれを捉える。次に、その構造がなぜ生まれたのかを因果で解く。それがDSA+DAGの流れです。

私は今、DSA+DAGの価値を「80%と20%」という比喩で語ることがあります。その本質は、80%+20%=100%の世界を、ありのままに捉えることです。平均の外側に押し出された現実を「例外」として消さず、意思決定の俎上に戻す。そこに、次の勝ち筋が隠れているからです。

ランチェスターから学んだのは、勝ち方のテクニックではありません。世界が非線形であるという事実でした。DSAは、その非線形な世界を誤認しないための、私なりの翻訳です。