医療用医薬品は本来、高度な科学的知見とともに提供されるべき製品であり、これまで主にMR(医薬情報担当者)を通じて医療従事者へ情報提供が行われてきました。そのため、製薬企業が情報発信の主導権を握り、情報の非対称性に基づいた供給者優位の市場構造が形成されていました。
しかし、コロナ禍によって医療機関への訪問が制限され、従来の情報提供の手法が困難になると、多くの製薬企業がネットやデジタル技術を活用した情報提供、いわゆるDX(デジタルトランスフォーメーション)への移行を急速に進めました。
これに伴い、従来の「明確なターゲットに対する1on1マーケティング」から、「広範な医療従事者に向けた情報発信と、閲覧の判断を受け手に委ねるマスマーケティング」への転換が起きました。その結果、情報選択の主導権は供給者から需要者へと移り、医療従事者が自身の関心に基づいて情報を選択する環境が整ってきています。
また、情報流通構造の変化により、医薬品業界においてもEC市場で見られるような「ショートヘッド&ロングテール型」の構造が表れつつあります。すなわち、注目度の高い一部の情報や製品にアクセスが集中し、その他の情報は埋没する傾向です。これは、消費財マーケティングにおける構造変化と共通する側面を持っています。

では、この状況は製薬企業が望んだものだったのでしょうか。
必ずしもそうとは言えません。多くの企業にとって、デジタル施策への移行は戦略的な選択というよりも、コロナ禍による物理的制約への緊急対応でした。従来はMRを通じて対象を絞った計画的な情報提供を行っていたものが、デジタル化によって顧客側に選択権が移行したことで、製品や企業ごとの情報の「見つけられ方」に格差が生じました。
このような構造変化は、情報流通の利便性と引き換えに「勝者総取り」の傾向を加速させており、製薬企業にとっては新たな戦略的課題となっています。単なるチャネルの補完ではなく、デジタル施策へのシフトに伴うリソース配分の見直しであり、「MR依存からの脱却」という構造的変化が進行しています。
実際、国内のMR数はピーク時の約6万人から2024年には5万人を下回り、現在も年間1,000人以上の規模で減少が続いています。企業によってはMRの役割を再定義し活用を模索する一方、そもそもMRの必要性に懐疑的な姿勢を示す企業も現れ、方針の二極化が進行しています。
医薬品ビジネスは、消費財ビジネスとは根本的に異なり、患者(使用者)、医師(選定者)、保険制度(支払者)が分離された「三者分離」構造の中で、科学的根拠と医療ニーズに基づいて処方・使用されるべきものです。
しかしながら、コロナ禍以降のDX推進において、製薬企業の多くがSEOやレコメンド、マスマーケティングなど消費財ビジネスの手法を模倣し、不特定多数への情報拡散を中心とした戦略に舵を切りました。その結果、情報発信力やブランド力に秀でた企業・製品に注目が集中し、情報可視性の格差が市場シェアに直結する「勝者総取り」構造が急速に定着しつつあります。
これは医薬品ビジネスの本質を損ない、“選ばれる情報だけが生き残る”という構造の中で、医療にとって不健全な競争が生まれていると言えるでしょう。
それにもかかわらず、多くの製薬企業が強者のマーケティングモデルをロールモデルとし、情報拡散力の競争に自らを追い込んでいます。しかし、本来必要なのは、必要な情報が必要な人に確実に届く仕組みであり、それを支える戦略とチャネル設計です。 今、製薬企業に求められるのは「勝者の模倣」ではなく、医薬品ビジネスの特性に則った「独自の情報設計モデル」の戦略なのです。
