AIの登場は、ビジネスにおける「工程=価値」というこれまでの大前提を、根本から崩し始めています。私たちは長い間、仕事の工程ごとに、多くの時間と人を張り付けることで成果を積み上げてきました。手間をかけ、工程を重ねることこそが努力の証であり、価値の正当性(コスト)であると信じてきたわけです。

しかし、文章作成、調査、要約、画像生成といった作業をAIが限りなくゼロに近いコストで代替する今、この等式は成立しなくなります。AIは単に作業が「速い」だけでなく、これまで人間が誇ってきた「工程そのものの意味」を希薄化させるからです。

「アリとキリギリス」の寓話を思い出しました。かつては投入した労働量に比例して成果が出る、アリの「積み上げ型」の価値観が正解でした。しかしAI時代には、アリが数日かけて築く工程を、キリギリスがテクノロジーを使って一気に飛び越えることが出来ます。これはズルではなく、技術の正しい活用です。

これは「怠惰の正当化」ではなく、「勤勉の定義の変更」だという点です。AIが作業工程を圧縮すればするほど、最後に残るのは「そもそも何を作るべきか」「どの方向に進むべきか」という「意思決定」です。アリのような「手作業の勤勉さ」の価値が下がる一方で、キリギリスのような音楽を奏で、生きる喜びを創造する、「構想する力」や「問いを立てる力」が、求められるからです。

「そんなに時間をかけて、なぜそれを作ったのか?」という問いに対し、もはや努力の量は答えになりません。会議の回数や資料のページ数といった「工程の厚み」で正当性を作ってきた組織ほど、この転換は痛烈でしょう。一方で、キリギリス型の働き方には、高度な判断力と責任が伴います。AIは手段を与えても、目的は与えてくれないからです。

これからのビジネスパーソンに求められるのは、アリの勤勉さを捨てることではなく、その「向け先」を変えることです。作業をAIに寄せ、人は戦略と選別に集中する。削った時間を顧客理解や仮説検証という「探索」に充てる。冬に備えるべき対象は、もはや蓄積された食料(作業量)ではありません。アリのように人生を生きたいか、キリギリスのように過ごしたいか?あなたはどちらですか?