臨床研究の出発点は、日常診療で生まれるクリニカルクエスチョン(CQ)です。しかし、CQから仮説を立てて研究計画に落とし込む段階で、多くの若手医師がつまずきます。理由は単純で、そのCQは既知か、あるいは自身の経験不足による未知なのか、また仮説が「新しいかどうか」以前に、「因果として正しく問えているか」が分からないからです。
臨床研究の現場では、近年 estimand(推定したい因果効果の明確化) の重要性が広く共有されるようになりました。
「誰に」「何を」「何と比べ」「どのアウトカムを」「どの時間軸で」評価するのか。これを曖昧にしたままでは、研究計画も解析も議論にならない。ここまでは、すでに共通認識になりつつあります。
しかし、estimandを明確にしただけで、研究の再現性や妥当性が担保されるわけではありません。研究者の暗黙知や経験値による主観を客観にかえるためには、DAG(有向非巡回グラフ)の設計が重要です。
DAGは、因果仮説の設計図として、交絡、媒介、選択といった構造を明示し、「何を調整すべきか/してはいけないか」を決めるための中核的なツールです。estimandを現実の観察データに落とし込むには、DAGを避けて通ることはできません。
ところが現場では、こんな状況が繰り返し起きています。
- DAGは重要だと分かっているが、描ける人が限られる
- 描いても、研究者ごとに形が違う
- 指導医・統計家・臨床医の間で、合意形成に時間がかかる
- なぜそのDAGなのか、根拠を説明しきれない
- 結果が変わったときに、どこが弱かったのか振り返れない
つまり、DAGは因果推論の要である一方で、依然として研究者の経験や暗黙知に強く依存する“属人的な工程”になりがちなのです。
この属人性は、研究の質そのものを揺らします。
同じデータ、同じestimandであっても、DAGの描き方が違えば結論が変わることがある。しかも、その違いが「技術的な誤り」ではなく、「判断の違い」として処理されてしまう。これでは再現性も、説明可能性も、組織としての学習も積み上がりません。
ここで重要なのは、DAGを否定することではありません。
むしろ逆です。DAGが重要だからこそ、その設計品質をどう担保するかが、次の論点になります。
解析手法やAIモデルの高度化が進む一方で、因果設計の部分は「経験者が何とかする領域」のまま残っている。求められているのは、DAGという“仮説の設計図”を、再現性と説明責任に耐える形で扱うための品質管理の考え方です。
こうした問いに答えられる状態を作らなければ、estimandをどれだけ厳密に定義しても、研究の信頼性は頭打ちになります。 この壁をどう越えるか。その答えがDSA(分布構造分析)です(特許出願中)。
