──因果を語る時代に必要な“構造を見る力”──

近年、「科学的に見えるが、どこか違和感のある主張」を目にする機会が増えています。専門用語、数値、AI解析、シミュレーションといった言葉が並び、一見すると論理的です。しかし読み進めるほどに、因果関係が曖昧で、検証の道筋が見えない。にもかかわらず、多くの人がそれを「納得」してしまいます。なぜでしょうか。

理由の一つは、人が本能的に「原因と結果が一本の線で結ばれた物語」を求めるからです。現実は本来、多数の要因が絡み合う分布構造を持っています。しかし不確実性の高い時代ほど、人は複雑さに耐えられず、「誰かが隠した」「これが真の原因だ」という単純な因果に救いを求めます。そこに“科学っぽい言葉”が添えられると、安心感と正当性が一気に補強されます。

問題は、それが科学の形を借りた物語であっても、因果の検証を経ていない点です。前提条件は何か、他の説明は排除されたのか、反証された場合はどうなるのか。こうした問いが置き去りにされたまま、結論だけが強く語られると、人は「理解した気になる」一方で、現実を正しく捉える力を失っていきます。

ここで重要になるのが、因果を“主張”ではなく“構造”として扱う視点です。DSA(分布構造分析)は、平均や単一の事例に飛びつく前に、データ全体がどのような歪みや層構造を持っているのかを可視化します。そしてDAG(有向非巡回グラフ)は、「何が原因で、何が結果か」を仮説として明示し、検証可能な形に落とし込みます。

DSA+DAGが目指すのは、分かりやすい物語を作ることではありません。分からなさを残したままでも、誠実に因果を扱うことです。科学っぽい陰謀論が広がる時代だからこそ、因果を語る側には、構造を示し、反証の余地を残す態度が求められています。それこそが、意思決定の質を高め、社会に本当の意味での納得をもたらす唯一の道だと考えています。