AIを使った論文作成への批判は、ひとつの重要な前提を曖昧にしたまま展開されることが少なくありません。「どのような使い方を問題にしているのか」という、工程レベルの区別です。
私の複数の国際学術誌への投稿・査読対応の実務経験を通じて、AIを活用した論文作成の工程設計を実践・体系化してみました。
批判されるべき使い方は、明確に存在します。
テーマとデータだけを与え、AIに論文全体を自動生成させる。これは著者の知的責任を放棄した行為であり、研究の真正性を根本から損なうものです。その批判は正しい。
しかし多くの批判は、論文作成の実態を正確に捉えていません。
論文作成は、単一の作業ではありません。
テーマ設定、スコープ整理、先行研究の位置づけ、投稿先の選定、構成設計、英文表現、カバーレター作成、査読対応——これらは性質の異なる複数の工程から構成されています。各工程で求められる能力は別物であり、著者の知的貢献が最も問われる場面もまた、工程によって異なります。
実際に複数のジャーナルへの投稿、査読対応、構成の再設計を経験してみると、この「工程の異質性」は理論ではなく、肌感覚として理解できます。AIが有効に機能する場面と、著者の判断が絶対に代替不可能な場面は、明確に分かれています。

この観点から見れば、AIは著者の代替者ではありません。
著者が構築した論点を言語化し、論理的な盲点を可視化し、表現の精度を高めるための補助線です。外科医がメスを使うことを「手術をメスに委ねた」とは言わないように、工程ごとに適切なツールを選択し、その全体に対して医師が判断と責任を持つことが、技術倫理の本質です。
重要な問いは「AIに書かせるかどうか」ではありません。 著者自身の主張・構造・妥当性の判断を、AIをどの工程に投入することによってより明確に実現したのか——そこにあります。
AI時代の研究倫理が問うべきは、AIを使ったかどうかではありません。
どの工程で、どのような判断のもとに、どの責任の範囲でAIを活用したのかを説明できるか。その透明性と説明責任にこそ、これからの研究倫理の核心があります。
「使わないこと」を倫理とする時代は、すでに終わっています。求められているのは、使い方を設計し、その責任を語れる研究者としての姿勢です。
この「知的工程管理」の考え方は、AIツールの使い方に留まりません。研究プロセス全体をどう設計し、どこに著者としての判断を集中させるか——という、研究者としての方法論そのものに関わります。
臨床研究者、医師、コメディカル職のみなさんが「論文を書く」という行為を再定義するための視点として、引き続き発信していきます。


