〜営業現場のリアリティと経営判断の乖離を超えて〜


はじめに:最近よく聞くこの手のAI活用、いかがですか?

製薬業界においても、AIを活用した営業支援が一つの潮流となっています。中でも注目されるのが、医師の潜在的ニーズをAIで予測し、面談の質を高めるという取り組みです。

一見すると、まるで医師の心を先読みするようなSF的な響きがあります。実際、「AIが医師の関心を察知し、タイミングよく訪問・提案できる」と聞けば、多くの現場も経営層も関心を持たざるを得ません。

しかし、「潜在的ニーズを予測する」とはどういうことでしょうか? そして、それは本当に営業成果につながるのでしょうか?

本コラムでは、このようなAI営業支援の本質、現場と経営のズレ、ROIの実態、そして最も重要な「何のためにやるのか」という戦略的視点について整理します。


第1章:そもそも「医師の潜在的ニーズ」とは何か?

まず、「潜在的ニーズ」という言葉自体が非常に曖昧です。マーケティングでよく使われる「潜在ニーズ」とは、顧客がまだ自覚していない、あるいは言語化されていないニーズを指します。

これを医師に当てはめるとどうなるでしょうか。

  • 副作用に悩む前兆がある
  • ガイドライン改訂で今後処方を見直す可能性がある
  • 新薬登場で処方選択に迷いが出てくる

こういった「まだ聞かれていないが、近いうちに聞かれそうなこと」こそが、医師の潜在的ニーズだと定義されているようです。

しかし、これは裏を返せば、「まだ起きていないし、確認しようもないニーズ」ということでもあります。
実際には、処方判断の大半はガイドラインやエビデンスに依存しており、医師の“気分”や“好み”で変わるようなものではありません。

つまり、潜在ニーズといっても、医師の「意思決定のトリガーを先読みする」ことができなければ意味がなく、実態としては「未来のウォンツ(将来的に顕在化する関心)」の兆候を拾うことに近いといえます。


第2章:未来のウォンツの兆候をAIで読むことは可能か?

結論から言えば、「一定の条件が揃えば可能」です。
以下のようなデータをもとに、AIは「今後、医師がこの情報を必要とするかもしれない」という予測を行うことができます。

  • 過去の処方パターン
  • 論文・講演会参加履歴
  • 面談時のキーワード記録
  • 同類医師群との比較(クラスタリング)

これにより、「今この医師に〇〇の話題を持っていくと反応が得られるかもしれない」という“行動のきっかけ”は提供できます。
つまり、AIは営業のトリガー設計を支援する補助ツールとしては有効です。

しかし、以下のような限界も明確です。

  • 心理的な抵抗や価値観の変化は読めない
  • 突発的な事象(副作用、患者背景など)は予測不可能
  • 十分なデータが蓄積されていないと精度は著しく低下
  • 「なぜそう予測されたのか」が分からない(ブラックボックス問題)

したがって、AIが読めるのは「未来の兆候」であって、「未来そのもの」ではないという認識が重要です。


第3章:そもそも、AIは誰に会うべきかを教えてくれない

ここで立ち戻るべき本質的な問いがあります。

「そもそも、誰に会うべきかが決まっていなければ、どんなレコメンドも意味がない」

AIは、入力されたデータの中から“次に会うべき医師”を推測する仕組みですが、そのベースとなるのは「過去に誰に会ったか」です。
つまり、会いやすい医師、反応しやすい医師のデータが多くなるほど、AIはその医師を推奨し続けることになります。

この結果、売上貢献性の低い医師への訪問が繰り返され、
「精度の高い、しかし戦略的でない営業活動」が再生産されてしまうのです。


第4章:営業成果に結びつくか?=ROIの現実

営業支援AIツールは、決して安価なものではありません。

  • PoC(試行導入)でも数百万〜
  • 本格導入では年間数千万円〜億単位
  • 自社開発ではさらに高額かつ長期化

では、これに見合うリターンはあるのでしょうか?

ROIが高まる条件:

  • 担当エリアが広く、優先順位付けが困難
  • 若手MRの活動精度を補助したい
  • 営業人員を削減した企業が効率を補完したい

ROIが下がる典型パターン:

  • ベテランMRがAIを信用せず活用しない
  • CRM入力が形骸化し、学習用データの質が悪い
  • そもそも誰に会うべきかが決まっていない

つまり、AI導入のROIは極めて“条件付き”であり、万能ではありません


第5章:それでも経営層が導入したがる5つの理由

ROIが曖昧であっても、なぜ経営層はAIツールの導入を進めるのでしょうか?

理由内容
① 変革感の演出「未来志向の改革をしている」と社内外に示す必要
② 他社がやっている競合が導入していれば、やらないわけにいかない
③ 成果は後回しでOK「いま評価されなくても、5年後に効いてくる」と割り切る
④ DX文脈での予算消化AI導入が全社プロジェクトに紐づいているため
⑤ 経営と現場の認知ギャップ経営は“進んでいる感”を求め、現場は“使えるかどうか”を重視

要するに、経営判断は必ずしもROIで動いているわけではなく、「やらないことのリスク」を避ける合理性で動いているのです。


おわりに:「AIで何をするか」ではなく、「戦略として何を達成するか」

営業支援AIはあくまで「戦術」であり、戦略(STP=誰に、何を、どのように届けるか)の代替ではありません

  • 「未来のウォンツ」を読むAIは、兆候検出ツールに過ぎません
  • 「誰に会うべきか」は、人間が戦略的に決めなければならない領域です
  • 「AIを使って何をするか?」より、「戦略として何を達成したいのか?」が問われています

AIツールに投資するか否かは、単なる流行やイメージではなく、自社の営業活動の本質を見つめ直す良い機会です。
限られた資源で最大の成果を上げるために、まずは“戦略”から整える
その上でAIを活かすなら、きっとその真価は発揮されるはずです。