アセトアミノフェンと自閉症リスクを巡って、トランプ大統領とWHOの間で対立的な発言が報じられているのを目にされた方もいると思います。トランプ氏は「危険だから規制すべきだ」と主張し、WHOは「因果関係は科学的に否定されている」と反論しました。一見すると正反対の立場のようですが、実際には両者とも「必要な時以外は安易に使うべきではない」という結論に帰着しており、とても不思議なねじれ構造が生じています。
この背景にあるのは「焦点の違い」です。トランプ氏はリスク面に光を当て、政治的メッセージとして「危険性」を強調し、これに対しWHOは、科学的根拠の有無を重視し「エビデンスがない」と反論しました。つまり両者が見ているのは同じ現象ですが、レンズの色が異なるため、あたかも真逆の議論をしているように映るのです。
この構造はビジネスの現場でもよく見られます。経営層は「リスクを抑えるべき」と語り、現場は「データ上は問題ない」と答える。立場の違いから対立的に見えますが、実際には「適切な条件でのみ実行すべき」という共通認識を持っていることは少なくありません。重要なのは「相手がどの立場から語っているか」を見極めることです。
医薬品の例に戻れば、製薬会社や医師が100%の安全を証明する責任を負っているわけではありません。しかし既知のリスクを正しく伝え、継続的に安全性をモニターする責任は確実に存在します。つまり「安全の証明」ではなく「安全性を常に検証し続ける仕組み」は問われているわけです。
医薬品は承認後も、市販後調査や薬害事例を通じて 継続的に安全性を担保 し続ける必要があります。 これは規制当局も製薬企業も当然に行っており、実際に新しい副作用が発見されれば添付文書改訂や販売中止にもつながります。その意味では「安全性への懸念を持つべき」というトランプの主張は、科学的根拠が十分でない部分があるにせよ、社会的に一定の妥当性はある と言えます。
ビジネスにおいても同様に、リスクゼロを証明することは不可能ですが、リスクを把握し、必要な時に必要な対応を取れる体制を整えておくことが説明責任になります。
現代は対立の時代です。あちらこちらで論点を見つけては世界中が対立を深めています。SNSやメディア環境の変化によって、わずかな論点の違いでも対立構造が増幅され、可視化されやすくなっているからです。
