「AIを使うと頭が悪くなる」と実しやかに語られることがあります。しかし本当に問題なのは、AIを使うことなのでしょうか?むしろ危ういのは、AIを使うか使わないかという二択でしか考えられない、大人たちのステレオタイプな思考です。
私が子供のころは「8時だよ全員集合」を観るとバカになると言われました。暴力的なアニメは犯罪を増やすとも言われていました。
でもそれらは科学的な根拠ではなく、批判する人の嗜好性が大きく影響しています。
AIに課題を丸投げし、出てきた答えをそのまま信じるなら、確かに思考力は育ちません。しかし、自分の仮説をぶつけ、反論させ、論点を整理し、複数の視点を比較し、最後は自分で判断するなら、AIは思考を奪う道具ではなく、思考を拡張する道具になります。
つまり、問うべきは「AIを使わせるか、禁止するか」ではありません。「AIに何を任せ、何を人間が考えるべきか」を教えられるかどうかです。
にもかかわらず、若い世代に対してAIを一律に禁止する動きがあります。「考えなくなる」「文章力が落ちる」「不正利用につながる」という懸念は理解できます。しかし、それは、AIリテラシー教育の放棄です。
現在はAI民主化の黎明期です。これまで一部の専門家や大企業に限られていた高度な知的支援が、個人の手元に届き始めています。地方の学生も、経済的に恵まれない若者も、一人で研究や起業に挑戦する人も、AIを使えば学び、考え、試す機会を広げられます。
それにもかかわらず、大人たちが漠然とした恐れだけでAI利用を制限すればどうなるでしょうか。使える家庭、使える学校、使える環境にいる若者だけが先に進み、禁止された若者だけが取り残されます。
これは学力格差ではなく、将来的に影響を及ぼす知的生産能力そのものの格差を産みます。
本当に頭が悪いのは、AIを使う若者ではありません。AIを使うか使わないかという単純な二分法でしか考えられず、未来のある世代から新しい知的インフラへの参加機会を奪おうとする大人の方かもしれません。
10年後、AIを使いこなす世代と、AIを使う訓練すら受けられなかった世代の間に大きな差が生まれた時、AIを一律に禁止した大人たちは、その責任を取れるのでしょうか。未来を守るつもりで、未来への参加権を奪っていないか。いま問われているのは、AIの危険性だけではなく、AIを学ぶ機会を奪うことの危険性です。
