熊本で発生した大きな地震により、被害に遭われた皆さまに心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された地域の一日も早い復旧と復興を願っております。
大きな地震が起きるたびに思うのは、「これほど科学技術が発達しているのに、なぜ地震を事前に予知できないのか」ということです。
実際には現在、地震に関する技術は確実に進歩を遂げています。
1.検知精度の向上
高感度地震計、海底地震計、GNSS、衛星InSAR、ひずみ計などに加え、AIによるP波・S波の検出や微小地震の抽出が進んでいます。従来はノイズに埋もれていた小さな地震を発見し、震源位置や断層構造を高密度に推定できるようになっています。
つまり、起きた地震を見つける技術や、地下で何が起きていたかを事後的に復元する技術は確実に進歩しています。AIや機械学習によって地震動の予測性能が改善することも、防災科学技術研究所などの研究で示されています。
2.地震発生の超高速検知技術
緊急地震速報は、震源付近で最初に到達するP波を検知し、破壊力の大きいS波が別地域に到着する前に知らせるシステムです。震源や規模を推定する方式に加え、周辺観測点の揺れから近隣地点の揺れを予測するPLUM法も導入されています。
ただし、これはあくまで「地震発生後」の計算です。猶予は数秒から長くても数十秒であり、震源近くでは速報が間に合いません。
2016年の熊本地震などでも、気象庁は緊急地震速報を発表し、地域別の主要動到達時間を計算しています。即時検知システムは十分に機能していますが、「発生前に熊本でM7.1が起きる」と予測できたわけではありません。
なぜ地震予知は成果が見えないのか
その最大の障壁は、単純な計算能力の不足ではありません。
- 地下の重要変数を直接観測できない
本当に知りたいのは、断層面の各地点における応力、摩擦係数、間隙水圧、温度、岩石強度、固着状態、微小なすべりなどです。しかし、その多くは地下数kmから数十kmの深部にあり、直接測定することは困難です。地表の変位や地震波から地下の状態を逆算していますが、異なる地下構造が似た観測結果を生むこともあります。これは計算量の問題というより、観測可能性と識別可能性の本質的な問題です。
- 前兆があっても地震につながるとは限らない
微小地震の増加や静穏化、地殻変動、電磁気変化、地下水変化など、前兆の候補となる現象は多数あります。しかし、「前兆らしい変化があっても大地震が起きない」「大地震が起きても明瞭な前兆がない」「地震後に振り返ると前兆らしく見える」という大きな課題が存在します。
過去の地震についても、後から見れば地震活動の静穏化やb値の変化などが報告されています。しかし、それを発生前に固定された基準で検出し、他地域でも再現できなければ、実用的な予知とはいえません。
- 正例が極端に少ない
同一断層で同程度の大地震が起きる間隔は、数十年から数千年に及びます。観測機器が十分に整備された期間は短く、機械学習に不可欠な「大地震直前の教師データ」が圧倒的に不足しています。実験室の岩石破壊実験では、機械学習で次の滑りまでの時間を高精度に推定できる例もありますが、数cmの試料と数十kmの自然断層では、条件の複雑さが桁違いです。
3.量子コンピュータへの期待
地震は、一つの原因によって発生する単純な現象ではありません。
多数の断層、岩盤、地下流体、プレート運動、微小破壊、地殻変動が、異なる時間軸と空間軸で相互作用する極めて複雑なシステムです。その全体を計算しようとすれば、候補となる状態や因果経路の数は爆発的に増加します。
量子コンピュータが将来実用化されれば、膨大な断層状態の組み合わせ、複数の破壊シナリオ、巨大な因果モデルの探索など、従来の計算機では困難だった問題を扱える可能性があります。
ただし、量子コンピュータは「観測できない情報」を自動的に生み出す魔法の装置ではありません。どれほど計算能力が高くても、入力するデータや仮説が間違っていれば正しい答えは得られません。
今求められているのは、計算能力の向上と同時に、観測された現象を「どのように構造化するか」という新しい解析思想です。
そこで、分布構造分析(DSA)+DAG(有向非巡回グラフ)の技術を、地震研究に応用できないかと考えています。
4.DSA+DAGの可能性
DSA+DAGによって直ちに地震予知が実現するとはいえませんが、現在の地震研究が抱える本質的な問題に適合する可能性は高いと考えています。
特に重要なのは、一見無関係に見えるノードをただ増やすことではなく、異なる時間・空間スケールの情報を「因果仮説」として統合できる点です。
例えば、次のような構造が考えられます。
【プレート運動 → 深部の応力蓄積 → 断層固着状態 → スロースリップ → 微小破壊 → 微小地震の空間分布変化 → 地下流体・間隙水圧変化 → 地殻変動 → 大規模破壊】
さらに観測側には、次のような交絡や測定バイアスも存在します。
- 観測網の密度 → 微小地震の検出数
- 降雨・地下水位 → 地殻変動・電気伝導度
- センサー更新 → 見かけ上の地震活動変化
通常のAIに大量の変数を投入すると、地震と相関するパターンは見つかるかもしれません。しかしそれが、「断層状態の変化なのか」「観測機器の変化なのか」「季節や降雨によるものなのか」「偶然の時系列相関なのか」を分離できない可能性があります。
DAGはこの部分に極めて有効です。何を原因候補とし、何を媒介変数とし、何を交絡とし、何が単なる観測結果なのかを明示的に扱うことができます。
DSAが担う役割
地震の前兆は、平均値の上昇として現れるとは限りません。
例えば微小地震についても、「発生数は同じだが特定地域に集中する」「マグニチュード分布の裾だけが変化する」「単峰分布が二峰性になる」「一部の断層区間だけ静穏化する」「時間間隔の分布が変化する」といった『分布構造の変化』として表れる可能性があります。
ここはまさにDSAの思想と一致します。平均値、相関係数、発生数だけでは捨てられてしまう構造を保持し、地下のシステムが正常状態から「異なる構造状態へ遷移したかどうか」を検出する用途に真価を発揮します。
DSAで異常な構造変化を検出し、DAGでその変化がどの因果経路と整合するかを評価する。この組み合わせには大きな研究価値があります。
降雨、潮汐、地下水位、地熱、地殻変動、微小地震、スロースリップ、地磁気、観測網の密度など、個別には地震を予測できない情報であっても、それらの関係性や分布構造が「同時に変化」したとき、地下システムの状態遷移を示している可能性があるのです。
終わりに
DSA+DAGと量子コンピュータを組み合わせたからといって、明日から地震を完全に予知できるわけではありません。
しかし、地震を直接「当てる」のではなく、
- 地下のシステムが通常状態から危険な構造状態へ移行したことを検出する。
- その変化が、どの因果経路を通じて大規模破壊につながり得るのかを評価する。
- その結果に応じて、鉄道、病院、学校、危険施設、避難体制の準備レベルを引き上げる。
このような段階的なアプローチであれば、地震予知の成否だけに依存しない、新しい防災技術へとつながるはずです。
「予知できなかったから仕方がない」「自然災害だから避けられない」。それだけで終わらせてよいとは思いません。
直接観測できない。変数が多すぎる。因果関係が複雑すぎる。計算量が大きすぎる。これまで不可能とされてきた理由そのものが、AI、DSA+DAG、量子コンピュータを組み合わせて挑戦すべき研究課題なのではないでしょうか。
今回のような悲しい出来事を、完全に防ぐことは難しいかもしれません。それでも、被害を少しでも減らすことはできないか。一人でも多くの命を守ることはできないか。科学技術が目指すべき成果は、予測精度の数字だけではありません。
人が避難できたこと。設備を停止できたこと。救助体制を準備できたこと。そして、失われずに済んだ命です。
DSA+DAGが、そのための一つの道具になり得ないか。私は本気で、この課題に向き合ってみたいと考えています。
そろそろノートPCで膨大なシミュレーションを回すのも限界かもしれません。
