法務省と厚生労働省が、相次いで民間作品とのコラボレーションキャンペーンを取り下げました。

法務省は、更生保護への理解を促すため、過去に非行や犯罪に関わった若者の「生き直し」を描く番組とタイアップしました。しかし、犯罪被害者やその家族から見れば、加害経験が物語として消費され、美化されているように感じられる可能性があります。

厚労省は、AYA世代のがん患者が利用できる支援制度を周知するため、闘病と死を描いた映画を起用しました。しかし、そのポスターが掲示されるのは、実際に治療を受けている患者や家族が訪れる医療機関です。支援制度を知らせるという善意の発信が、受け手に死への恐怖を想起させる結果になりかねません。

いずれも、発信した側の意図だけを見れば理解できます。問題は、「何を伝えたいか」は検討されていても、「誰が、どこで、どのような状況で受け取り、どう感じるか」まで十分に検討されていなかったことです。

作品そのものの価値と、行政機関が特定の目的・場所で使用することの妥当性は別問題です。また、発信者の善意と、受け手に生じる効果も同じではありません。

これは、弊社のDSA+DAGによる監査の考え方にも通じます。

データ解析では、解析者が示したい結論と、そのデータから実際に主張できる範囲は必ずしも一致しません。相関が確認されたからといって因果関係まで主張できるとは限らず、全体の平均だけを見れば、内部に存在する異質な集団を見落とすこともあります。だからこそ、データの分布構造、対象集団、交絡、選択、適用条件を確認し、その結論まで進んでよいのかを外部から監査する必要があります。

広報も同じです。発信者が伝えたいメッセージだけでなく、受け手の属性、経験、置かれた状況、接触する場所によって、意味も効果も変わります。送り手の意図から「理解が深まる」「支援につながる」と結論づけることは、ある意味では因果的な過剰主張です。

これからの発信に必要なのは、表現を美しく整えることだけではありません。公開前に、誰が傷つく可能性があるのか、どのような誤解が生じるのか、本当に期待する効果につながるのかを検証する「発信前監査」です。

自分が主張する自由と、その主張が受け手に受け入れられることは別です。何を伝えたいかだけでなく、それがどのように届くのかまで考える。今回の取り下げは、発信にもClaim Gateが必要な時代になったことを示しているのだと思います。