新しい技術や研究成果を説明すると、よく言われるのが、

「もっと簡単に」
「誰でも分かるように」
「専門用語を使わず簡潔に」

もちろん、相手に伝わらなければ意味がないという指摘は正しいでしょう。

しかし、この要求は「理解する側の論理」であり、「開発者側の理論」ではありません。

開発者にとって、自ら生み出した技術は、単なる説明対象ではありません。

心血を注ぎ、試行錯誤し、失敗を重ね、既存手法では解決できなかった問題に対して構築した、誇るべき技術そのものです。

その高度性や複雑性、新規性は、説明を難しくしている欠点ではありません。

むしろ、それこそが技術の価値であり、競争優位でそのものです。

分かりやすくすると、何が失われるのか

これは統計解析に似ています。

複雑なデータを平均値一つにまとめれば、誰にでも理解しやすくなります。

しかし、同じ平均値であっても、一方は均一な集団で、もう一方は改善した人と悪化した人が混在しているかもしれません。

平均値だけを見れば同じです。

しかし、分布の形、ばらつき、外れ値、複数の集団構造といった重要な情報は失われています。

技術の説明も同じです。

高度な技術を、誰でも理解できる表現に置き換えれば、確かに分かりやすくなります。

しかし、その瞬間に、なぜ既存手法では不十分なのか、どこに新規性があるのか、なぜ簡単には模倣できないのかという、本来伝えるべき情報が消えてしまいます。

分かりやすくなった結果、他の技術との違いが分からなくなる。

違いが分からないため、価値も判断できない。

価値が判断できないため、売れるかどうかも分からない。

分かりやすいことと、真に理解出来ていることは全くの別のものです。

「もっと分かりやすく説明してください」という要求が、かえって技術を評価不能にするループを生みます。

理解できないことと、価値がないことは同じではない

高度な技術は、必ずしもその場で全員に理解されるものではありません。

量子コンピュータ、遺伝子編集、半導体製造、深層学習なども、その原理を完全に理解してから価値を認めている人ばかりではありません。

多くの場合、技術の価値は、分かりやすい一言だけで証明されるものではありません。

研究成果、特許、専門家による評価、共同研究、再現性、実証結果、導入効果といった、複数の証拠によって支えられます。

したがって、「すぐに理解できない」ということ自体を、直ちに説明不足や技術の弱さとみなすべきではありません。

もちろん、難しい言葉を並べればよいわけではありません。

また、理解されないことを高度性の証拠として利用するだけでも不十分です。

重要なのは、理解しにくい理由が、単なる説明不足なのか、それとも既存の概念には還元できない技術的内容が存在するためなのかを区別することです。

開発者は、自ら技術価値を削ってはいけない

開発者は、資金調達、営業、助成金申請、社内説明などの場面で、繰り返し簡単な説明を求められます。

その結果、相手に合わせることを優先しすぎて、自ら技術の価値を削ってしまうことがあります。

専門性を消し、複雑性を消し、既存技術との違いを消した後で、

「結局、何がすごいのですか」
「他社でもできるのではありませんか」

と問われます。

しかし、その違いを消したのは、まさに分かりやすくする過程です。

開発者に必要なのは、技術を平凡なものに見せることではありません。

技術の高度性を保ったまま、相手が価値に到達できる入口を設計することです。

簡単にするのではなく、階層化する

技術説明には、少なくとも三つの階層があると考えます。

第一の階層は、「なぜ必要なのか」です。

どのような問題があり、なぜ従来の方法では不十分なのかを示します。

第二の階層は、「何が違うのか」です。

既存技術との違い、独自性、技術的な立ち位置を明らかにします。

第三の階層は、「どのように実現しているのか」です。

ここで初めて、専門的な理論、アルゴリズム、実装方法、検証結果を説明します。

全員に第三階層まで理解してもらう必要はありません。

しかし、第三階層が存在することは隠してはいけません。

入口は分かりやすくしても、技術そのものまで単純化してはいけないのです。

「よく分からないが、重要そうだ」は悪い評価ではない

新しい技術に対する最初の反応として、

「完全には分からないが、従来とは違う」
「かなり高度なことをしているようだ」
「これから必要になる可能性がある」

と思わせることは、必ずしも失敗ではありません。

むしろ、新規性の高い技術であれば自然な反応です。

最初から完全に理解でき、既存の言葉だけで説明できるのであれば、それは既存技術の組み合わせとして処理されている可能性もあります。

技術開発において重要なのは、全員に同じ深さで理解させることではありません。

価値を理解する人、技術を評価する人、導入を判断する人、それぞれに必要な情報の深さは異なります。

誰にでも同じ説明をすることが、必ずしも公正でも効果的でもありません。

分かりやすさは目的ではない

分かりやすさは、伝達のための手段です。

それ自体が技術評価の基準ではありません。

開発者が目指すべきなのは、技術を誰でも知っている言葉に縮小することではなく、技術の価値を失わずに伝えることです。

平均値だけで分布を語らないように、一言の要約だけで技術を語るべきではありません。

高度な技術には、高度である理由があります。

複雑な技術には、複雑でなければ解決できない問題があります。

開発者は、その複雑性を恥じる必要はありません。

むしろ、自らが生み出した技術の高度性を正しく提示し、それを裏付ける研究、実証、知的財産、専門評価を積み重ねるべきです。

「もっと簡単に説明してください」と言われたとき、削るのではなく、こう問い直す必要があります。

分かりやすくすることで、何が失われるのか。

そして、失われる情報の中にこそ、その技術の本当の価値があるのではないか、と。