データだけを見ていて、患者を見ていない?— 製薬マーケティングの現在地
最近、診察室で医師が患者の顔を見ず、電子カルテの画面ばかりを見ているという話をよく聞きます。患者としては、「ちゃんと診てもらっているのか?」と不安になりがちです。しかし、これは単に医師の問題というより、データ駆動型の医療がもたらした一つの現象とも言えます。
さて、これを製薬業界に置き換えてみましょう。今、製薬企業のマーケティングや営業活動は、まさに「データ画面しか見ていない」状態になっていないでしょうか?
CRMの指示に従うだけのMR、データに依存するマーケティング
かつてMRは、医師の表情、態度、声のトーン、言葉のニュアンスを観察しながら、無意識にアプローチを調整していました。しかし、今ではCRMの指示に従うだけの営業活動が主流になっています。
本社のCRMには、「この医師には〇〇の資料を持って訪問し、△△のトークをしてください」といった詳細なサジェスチョンが示されています。MRはそれに沿って行動し、指示された通りの話をし、CRMに記録を入力します。しかし、それが本当に医師のニーズに合致しているのか? データが示す「正解」と、現場のリアルな「本当の正解」は一致しているのでしょうか?
データの限界:見えているのは「結果」だけ
データ分析が重要であることは間違いありません。しかし、データは過去の行動の記録にすぎず、その背景にある「なぜ?」を説明してくれるわけではありません。たとえば、CRMのデータから「この医師は過去3回、A製品の情報を求めている」と分かったとしても、その理由は何か? それは競合品との比較を検討しているのか、単なる情報収集なのか、患者のために真剣に選んでいるのか? データだけでは判断できません。
同様に、医師が電子カルテを見ながら診察すると、画面上の検査データや病歴は確認できますが、患者の表情やちょっとした違和感には気づきにくくなります。それが、診療の質にどのような影響を与えるのかは言うまでもありません。
製薬マーケティングも同じです。CRMに示された「推奨アクション」に従っていても、医師が本当に求めている情報なのか、あるいはMRの機械的な対応に飽き飽きしているのかは、データだけでは分かりません。
「診療の質」と「マーケティングの質」
医師が患者の話を聞かず、データだけを見て診療することが問題であるのと同じように、製薬企業も**「データありき」のマーケティングを見直す必要**があります。
では、どうすればよいのか?
① データは「参考」、判断は「人間」
CRMやマーケティングデータは、意思決定のサポートツールであり、全ての答えを持っているわけではありません。データが示す傾向を把握したうえで、「本当にこの医師に必要な情報は何か?」をMR自身が考え、判断する余地を持たせることが重要です。
② 定性的情報を重視する
CRMの数値データだけでなく、医師の反応や微妙なニュアンスを記録し、マーケティング施策にフィードバックする仕組みが必要です。「この医師は最近、他社の製品に関心を示している」「この医師は忙しく、短時間で要点だけ知りたがる」といった情報は、単なる数値では捉えきれません。
③ MRの観察力を再評価する
MRが持っている「観察力」や「場の空気を読む力」は、データ分析では補えない貴重なスキルです。CRMが指示する内容に加えて、MR自身が現場で感じたことをマーケティング戦略に反映させる仕組みを作るべきです。
「画面を見ず、目の前の人を見る」マーケティングへ
人間ドックにいくと、既に一線を退かれたベテラン医師に問診を受けることがありますが、聴診器の当て方や触診の素晴らしさは、素人目線でも十分に分かります。本当の医療に触れたような気分になります。
医師の診療が「データ偏重」になりすぎると、患者の不満が増し、診療の質が低下するのと同じように、製薬企業のマーケティングが「データ偏重」になりすぎると、医師との関係が希薄になり、競争力を失うことになります。
データは活用するものだが、盲信するものではない。 目の前の患者を診ることが医師の本来の役割であるように、目の前の医師に向き合い、リアルなニーズを探ることが、MRとマーケティング部門の本来の役割ではないでしょうか?